NEWS RELEASE:JR&私鉄    4
No.7214 【JR西】大阪環状線60周年記念の取り組み
まるよし(cfcd3435) 2021-05-11 16:53:54
News Release
    近畿統括本部



         これまでも、これからも、この大阪のまちで!
           『大阪環状線 つながって60年〜』



                              2021年5月11日
                              西日本旅客鉄道

 大阪のまちを環状に結ぶ大阪環状線。今から60年前の1961年(昭和36年)、大阪臨港線の境川信号場から西成線の西九条駅間が延伸し、それまでの城東線や西成線、関西本線の貨物支線などを合わせて全区間がつながったことにより「大阪環状線」として全線が開業となりました。
 JR西日本では、この大阪環状線開業60周年を契機に、地域の皆様とも連携しながら大阪環状線の歴史や大阪のまちの魅力を発信し、より多くの皆さまに笑顔になっていただける取り組みを展開します。
 
1.大阪環状線60周年ロゴマークの作成
 お馴染みの大阪環状線のロゴマークに、大阪環状線に乗り入れている大和路快速をイメージする緑色、また関空・紀州路快速をイメージする青色を加えました。さらに大阪環状線で活躍した103系と現在活躍している323系の新旧の車両を配置することで、大阪環状線の歴史を表現しています。
 
2.地域の皆様と連携した魅力発信
 当社独自の取り組みだけでなく、沿線地域の皆様(行政・学校・企業等)とともに、大阪のまちの魅力をより知っていただく取り組みも進めてまいります。森ノ宮医療学園との連携による安全・安心なまちづくりに係る取り組みや、近畿大学との連携によるSNSを活用した大阪環状線沿線の魅力発信等を予定しています。
 ※詳細は、後日改めてお知らせします。
 
3.大阪環状線の歴史をひもとく駅構内展示・情報発信
 大阪環状線の歴史を振り返るポスターを、大阪環状線の主要駅にて掲出します。ポスターでは大阪環状線開業時の駅の様子や大阪環状線内を走行する歴代車両等をご紹介します。
 2021年6月以降、準備でき次第掲出いたします。おでかけの際はご覧ください。

4.その他
 ○JR西日本「おでかけネット」内でも、本企画をご紹介する特設WEBサイトを準備中です。
 ○京都鉄道博物館でも大阪環状線開業60周年企画展を計画中です。
 ○オリジナルグッズをジェイアール西日本商事より販売します。
  場所:京都鉄道博物館ミュージアムショップ、通販サイト「トレインボックス」等
  内容:クリアファイル、キーホルダー、Nゲージ貨車コム、雑貨等
  ※発売日・仕様等については、今後詳細が決まり次第、通販サイト「トレインボックス」(https://www.trainbox.jp/)、メールマガジン、Facebook、Instagram、Twitterなどでお知らせします。


[別紙1]
大阪環状線の歩み〜歴史編〜

(1)東側の路線大阪鉄道による連絡線の建設
 大阪環状線の東側、大阪駅−天王寺駅問の路線の基礎は、大阪と奈良を結ぶ大阪鉄道によって建設されました。大阪鉄道は、湊町駅(現・JR難波駅)−奈良駅間を1892(明治25)年に開業させ、国からこの路線を作るための免許をもらう代わりに、官設鉄道(国鉄)への連絡線を建設するよう義務づけられました。川が多いことや町の中心を通ると建設費が高くなるなどの理由から、天王寺駅から分かれて東側を経由することになり、18951895(明治28)年5月28日に天王寺駅−玉造駅間、同年10月17日に玉造駅−大阪駅間が開通。この路線は1907(明治40)年に国有化されて城東線となり、1933(昭和8)年に全線高架となりました。
 
(2)西側の路線港湾の発展に伴う、港への路線
 昔から水運の街として栄えてきた大阪。1868(明治元)年に開港した大阪港は、明治中期頃から増える輸送量に対応できなくなり、大型船は神戸港に入港するようになっていきました。そこで大阪市は港の整備を進めるため、1892(明治25)年に港の改修工事を計画。この工事の材料や港が完成した後の貨物を運ぶために、港と市内をむすぶ西成鉄道が設立されました。1898(明治31)年に大阪駅−安治川口駅問が開業、その後西成鉄道の路線は1906(明治39)年に国有化され、西成線となります。さらに1910(明治43)年には桜島まで延伸します。一方、大阪港が発展すると、港への路線がさらに必要になってきた
ため、今宮駅から分かれて大阪港に通じる貨物線(大阪臨港線)が1928(昭和3)年に完成しました。

(3)大阪環状線計画の始まり
 昭和初期に入ると、大阪環状線計画が持ちあがります。戦中・戦後の混乱で
は計画は進みませんでしたが、大阪市に人々と活気が戻ってくると、交通機
関の整備がますます必要となってきました。そこで1953(昭和28)年に府や市によって再び建設計画が持ちあがり、1956(昭和31)年に工事が始まり
ました。そして、ついに1961(昭和36)年4月25日に大阪臨港線の境川信号所と西成線の西九条駅との間がつながり、大阪環状線が開通しました。この時はまだ路線がつながっておらず、西九条駅に地上と高架にホームがあり、乗り換えが発生していました。高架駅の西九条駅を出発した列車は天王寺駅を通って大阪駅まで高架を走り、そこから地上線を走って地上駅の西九条駅に着き、桜島駅へ向かう「逆『の』の字」運転でした。

(4)環状運転がスタートし、現在の姿に
 西九条駅の高架工事は住宅街での難しい工事で、騒音や振動の少ない工法に
よる作業が平常運転の合間をぬって行われました。1964(昭和39)年3月22日に高架工事が完成。環状運転がスタートし、現在の姿で電車が走るようになりました。

[別紙2]
大阪環状線の歩み 〜大阪環状線改造プロジェクト編 〜

 大阪環状線改造プロジェクトでは、2013年から大阪環状線のイメージアップとお客様満足度向上を図るため、「安全快適な駅づくり(駅美装・改良)」「駅構内および高架下の開発・リニューアル」「車両新製」「地域や他交通事業者との連携」を4つの重点施策とし、さまざまな施策を展開しています。大阪環状線を「行ってみたい」「乗ってみたい」線区に改造し、地域とともに、大阪を元気にします。
 
〇安全快適な駅づくり(駅美装・改良)
 大阪環状線全駅の美装・改良を進めています(内容は駅ごとに異なります)。森ノ宮駅・桃谷駅・玉造駅に続き、京橋駅も駅全体のリニューアル工事を進めています。また、駅美装・改良の中でもトイレ改良を重点項目と位置づけ、集中改良を進めてきました。改良にあたっては、“暗い・臭い・汚い”の解消を基本とし、社会環境の変化もふまえた快適なトイレ空間をめざしています。

〇駅構内および高架下の開発・リニューアル
 大阪環状線の駅構内や高架下などの魅力向上をめざして、駅美装・改良に合わせ、駅やエリアごとの特性、お客様ニーズを捉えた商業開発を推進しています。森ノ宮・玉造・桃谷・野田駅高架下の複合商業施設「ビエラ」に加え、玉造駅構内にフードコート「たまぞうキッチン」、福島駅から西側の高架下周辺に阪神電気鉄道との共同開発で「ふくまる通り57」を開業するなど、新たなまちの賑わい創出に取り組んでいます。
 
〇新型車両投入にあわせた駅ホーム空間の安全性・快適性向上
安全性とサービス水準を高めた、大阪環状線・JRゆめ咲線初の専用新型車両「
323系」全22編成を投入しました。同線区の営業列車が全て3扉車両となり乗車位置が統一されたことを契機に、足元案内をリニューアルしてホーム上の混雑緩和を図るとともに、一部駅のホーム柵整備を推進し、ホームの安全性をさらに高めてまいります。

〇地域や他交通事業者との連携
 沿線地域も含め、線区として価値を向上するため、大阪市・区や大阪環状線と結節する他交通事業者とも連携を強化しています。
・案内表示を分かりやすく改善するため、Osaka Metroとの案内連携
・魅力発信地域の皆様と連携し、沿線地域の一部となっている高架下などの
鉄道施設の美化によるまちの美観促進

これからの大阪環状線 〜2025年大阪関西万博の開催に向けて〜

 大阪環状線という鉄道ネットワークを活用したアクセス輸送を中心に、開催地である関西大阪の一員として、万博成功に向け役割を果たしていきます。また、大阪関西万博の開催を機に大阪へ足を運んでいただいた方々に大阪の魅力を最大限に感じていただくため、そして関西都市圏ブランドの確立に向けた「行ってみたい」「乗ってみたい」沿線づくりのため、沿線地域の皆様とともに取り組んでまいります。

撮影日:
撮影場所:
キャプション: [別紙1]の画像
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撮影日:
撮影場所:
キャプション: [別紙2]の画像
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