pleiades/正村(pmsu2481) 2010-08-06 21:41:58 |
ひろやす/伊藤さん、こんにちは。
pleiades/正村です。 ご来訪ありがとうございます。 >今月は、タイムリーに余部鉄橋ですか。 このときのために温存してきました。というほどじゃないですが。 >ここをサイドから撮った蒸機の写真って、意外と見た記憶がないのですが、当時、ここで写される方は多くなかったのでしょうか。 余部では蒸気時代には、意外とサイドから撮ったというのは少ないようです。 下り列車に対しては餘部駅の直ぐ脇から鉄橋を渡る列車と背景に海を入れたというのが定番だったようです。 サイド写真も特に海側からの方が少ないようですが、これは線路がほぼ東西向きですので海側から撮ると晴天時には逆光になるからだと思います。 新橋の工事が始まってからは、工事中の橋を避けるために海側から撮られた写真が多いようですが。 ここは、この写真を撮った半年後の2月末で無煙化されてしまい、SLブームに乗って大騒ぎされることもありませんでしたが(記念列車の運転などは除いて)。この当時でも撮れる蒸気列車は1日2本位だったと思います。 何よりも餘部駅には全普通列車が停車していたわけではなかったですから、アクセスは非常に悪かったです。 >ただ、緩急車を挟んでC57というのが珍しい。 無火回送の蒸機が次位に付くというのは4回ほど撮っていますが、緩急車を間に入れたのを撮ったのはこれ1回のみです。緩急車がないとC57・D51の重連だと言い張れるのですが。 >このC57、集煙装置も重油併燃装置も着いていないように見えるのですが、山陰本線にこんなにきれいなC57が配置されていたのでしょうか。 C57はたぶん豊岡のC5795では無いかと思います。この時期のC57の廃車で該当が無く、後藤工場への入場だと思われます。C5795は集煙装置も重油タンクも装備せずかつ、デフレクタから煙突に繋がる弧状のつらら切りを装備していました。HPの写真ではよく分かりませんが、写っているC57は1次型でこの特徴を有しています。該当するのはC5795ではという答えになりました。 CMN v0.60β -- |
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