pleiades/正村(pmsu2481) 2007-07-07 19:18:33 |
ひろやす/伊藤さん、こんにちは。
pleiades/正村です。 >当時の運用はよく分からないのですが、牽引機がD60か9600で車掌車が異なるというのは、各貨物列車の出発地もしくは経由地の違いではないでしょうか。D50は筑豊本線中心で、9600は筑豊地区の支線区と筑豊本線を結ぶ列車を担当していたとすると、本線系はワフで、支線系はセフ・セムフだったという仮設が成り立ちそうですけど・・・? 撮影したD60牽引の貨物の多くはは直方始発で直方で組成されてたようです。 96牽引の貨物はおっしゃるように船尾発だったりしていました。また、セフやセムフを連結した列車は、直接編成ごとホッパーまで入っていたようですね。 なのでワフやヨではだめだったのでしょうね。後年セフ・セムフ淘汰のためヨ5000が低屋根改造されてヨ5800番台になリましたね。 >時代を感じさせるのは、これらの蒸機列車以上に線路端を歩いている人の存在。これ、鉄道関係者ではなく地元の方ではないでしょうか? 今では許されないですけど、当時は地方に行くとわりと平気で線路敷きを地元の方が歩いていたりしましたよね。 そうですね。餘部でも餘部駅が出来た後も地元の人たちは停車する列車の本数が少ないので、隣の鎧駅からトンネルを抜けて鉄橋を渡り線路を歩いていました。 それ以外でも通学時に線路を歩くいているのは、よくみられましたね。 |
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