ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2009-08-11 20:57:58 |
みかん山/中井さん、こんにちは。
北陸本線の富山開通時の資料はないかと探したところ、「鉄道の記憶 富山・十七の鉄道物語」(草卓人著・桂書房刊)という書籍に、いくらかそれっぽい写真が出ていました。 まず、富山まで通じていない明治31年の金沢〜高岡間開通記念列車ですが、タンク機が10両前後の二軸貨車に人を満載し、プッシュプルで走っています。手摺りもない小矢部川橋梁上の写真ですが、機関車上から機関車の前の橋梁上にまで人が立っていますので、どうやら橋梁上に停車させての記念撮影のようです。今ではあり得ない光景ですねぇ(^^; 次に、富山開通直後となる明治41年の写真には、 『 鉄桁耐力試験ニ供セル大型機関車(40)トン 』 というキャプションがあり、0−C−1の軸配置と思われるタンク機が2両写っています。そのうち1両は1203号機。橋梁の耐力確認用ですので、当時の北陸では最も軸重が思い機関車をもってきたことでしょうから、それでテンダー機でなかった可能性はあります。 同じく明治41年の「水橋停車場」の写真には、駅に進入してくるタンク機が写っています。 また、同じく明治41年に魚津駅で撮影した「富直線鉄道開通式の光景」も、タンク機関車に木造と思われる客車が連結されています。「富直線」は、富山と直江津を結ぶ路線という意味で、今の北陸本線ですね。全通は大正2年ですので、当時は部分開通の状態です。 その後、機関車の写っている写真はほとんどないのですが、テンダー機らしい機関車が写っているのは大正に入ってからのようです。 一方、 汽車に魅せられて http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/index.htm というサイトの「資料室」→「明治のSL(3)」には、ベイヤー・ピーコック製5500形を明治26年に発注し、翌年輸入したという記述のあとに、5500〜5505号機は北陸本線で活躍したとありますので、当時、既にこの2Bテンダー機が北陸本線の優等列車をけん引していたことは間違いないでしょう。ただ、勾配区間の多い北陸本線の米原〜富山のうち、どこで使われていたかは、この記述からでは残念ながら判りません。 ・・・ということで、調べてみたものの、結果として「よくわかりません」でした(__; 伊藤 博康 |
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