ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2009-08-25 16:13:35 |
ゆきむらさん、補機の連結駅について、たしかなところを確認いただきありがとうございました。「燕」だけが山北・御殿場ではなかった辺りに、同列車の位置づけが感じられますよね。
なお、補機の開放は上り・下り列車それぞれが山北と御殿場で行っていたようです。その開放は走行中に行うもので、これも当時画期的なものだったようです。余談ながら、補機の連結も走行中に行うことを検討したものの、流石に危ないということで、30秒停車で落ち着いたようです。また、水槽車についても、静岡駅構内で走りながら給水することも考案されたようですが、こちらも実現には至らなかったようです。 これらのチャレンジ精神は、当時の技術者にとってはやり甲斐のあるものだったことでしょうね。 > 今回、駿河小山から山北へ向かう電車の中から、複線時代の橋梁跡を写すことができました。コンパクトデジカメの画像ですが、添付してみますね。 戦後60年を超えましたが、見事に残っていますね。 かつての大幹線も、いまやローカル輸送だけで、思い出したように走る特急「あさぎり」は、最近話題にならず混雑するという話も聞きませんよね。栄枯盛衰という言葉を思い出すのが御殿場線ですね。 伊藤 博康 |
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