ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2011-01-24 23:39:30 |
(株)エリエイからレイルの最新刊の発刊案内をいただきましたので、ここにご紹介致します。購入の参考にされて下さい。
なお内容から、「NEWS RELEASE:全般」「メディアプラザ」とともに、倶楽部鉄道フォーラムの「私鉄【京阪神】」「煙と汽笛」「鉄道歴史談話室」の両掲示板でもご紹介いたします。 鉄道フォーラム・マネジャー 伊藤 博康 株式会社エリエイ http://www.eriei.co.jp タイトル: THE rail No.77 複数テーマ混載 発 行 日: 平成23/2011年1月21日 定 価: 本体3,600円+税 荷造送料450円 発 行: 株式会社エリエイ/プレス・アイゼンバーン U R L: http://www.etrain.jp/ e.mailでの問い合わせ先アドレスは info@eriei.co.jp 図書符号: ISBN978-4-87112-477-5 C1065 \3600E [スタッフ] 企画・編集 前里 孝 編 集 顧 問 寺田貞夫 発 行 平井憲太郎 写 真 補 正 脇 雅恵・秋山瑛美 デ ザ イ ン 前里規子 印刷・製本 昭栄印刷株式会社 もくじ 思い出の東海道本線 荷35列車 開 崇博/松尾彦孝/前里 孝……………4 私の写したEF58 −荷35列車牽引機の記録− ふちい萬麗…………………………………28 昭和20〜30年代京阪グリーンを作った頃のこと 豊田 隆 ある車輌技術者の思い出を聞く 聞き手:粟生弘太郎/西野信一 協力:京阪電気鉄道株式会社 京阪1300型の昔のメモより 沖中忠順 ………………………………………………58 京阪ロマンスカー史 正誤と補遺 ………………………………………………70 ようやくオープンした 北京鉄道博物館正陽門館 蔵重信隆……………………………………74 現代中国蒸機の世界 第13回 平庄・公烏素炭砿と包頭鋼鉄専用線 〜内モンゴル自治区最後の煙〜 蔵重信隆……………………………………80 ヤードマン………………………………………………98 ★以下、「ヤードマン」(編集後記)です ■昭和50/1975年の3月から昭和53/1978年の10月までの約3年半,東海道本線に,EF58重連牽引の荷物列車がありました.それが,今回のメインテーマである荷35列車です. ■それまで,東海道本線の荷物列車といえばEF58の独壇場.しかし,重連牽引はありませんでした.EF58が担任する列車では,運用上の都合による機関車回送のための重連や三重連は報告されており,編集子も,昭和40年頃に山陽本線の普通列車で三重連を何度か見掛けています.けれどもそれらはあくまでも回送であって,先頭以外の機関車のパンタグラフは1基しか上昇していませんでした. ■それらと違って,荷35列車は編成重量の増加により,EF58単機牽引の牽引定数をオーバーしたために必要となった,本当の意味での重連牽引でした.その証拠に,特異日を除けば,2輌のEF58の4基のパンタグラフは,すべて上昇していたのです. ■ふちい萬麗さんは,その荷35列車を担当したEF58たちのスタイルを観察した写真と考察を寄せて下さいました. ■関 崇博さんと松尾彦孝さんには,当時のメモから編成記録のいくつかを披露していただくとともに,品川駅の情景と列車写真の提供をお願いしました. ■これらを給合することで,30年以上も前の,ひとつの荷物列車の姿を記録することができたと思います. ■70号で佐藤博紀さんがテルハの考察を寄せて下さって以来,国鉄の荷物輸送関連の稿が続きます.この荷物輸送に関しては,まだまだ解明したい事柄があります.とはいえ,荷物輸送が廃止されてから既に四半世紀を経過しており,残された資料があまりにも少なく,さらに,当時実務に携わった方々のほとんどが引退しておられることを考えると,前途は多難です.季節的な農産物輸送など,断片的にでも資料や写真をお持ちの方は,ぜひともお寄せ下さい.それらを集合することによって,さらに荷物輸送の一断面が見えてくるのではないかと思います. ■京阪電車については,昨年春の“ロマンスカー史”をひとつのきっかけとして,昭和20〜30年代の,車輪技術者の思い出が発掘されました.半世紀以上にわたって採用され続けてきた,京阪電車の車体や内装の色が決定された背景など,関係の皆さんの努力によって,この機会に記録できたのは幸いでした. ■このお話は,次回以降,さらに発展することになっています.戦後の京阪車輌史の多くが記録できそうです.ご期待下さいますよう. ■ロマンスカー史の補遺と訂正も掲載しています.ご活用下さいませ. ■長らく汽車製造会社(汽車会社)に勤務され,国鉄向けディーゼル機関車の開発などに携われた市上一二さんが,平成22/2010年10月19日に逝去されました.82歳でした. ■年が明けてすぐの1月3日には,熱心な京急ファンとして知られた吉村光夫(吉村忠晃)さんが亡くなりました.レイルにはNo.48に鹿児島市電の思い出を写真とともに寄せてくださったのを思い出します.大正15/1926年2月生まれでした. ■お二方のご冥福をお祈りいたします. |
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