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No.576 (Re:573) 【名古屋レール・アーカイブス】NRA NEWS No.5 瀬戸線こぼれ話(1) 伊東重光
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2009-03-16 18:11:07
非営利活動法人 名古屋レール・アーカイブス         2009年3月
 http://nagoyarail-acv.or.jp/nra/
   NRA NEWS No.5



瀬戸線こぼれ話(1)
    伊東重光

1.瀬戸軽便鉄道計画のこと
 「瀬戸線の90年」の年表1)によれば、瀬戸線は、明治35年(1902年)3月17日瀬戸自動鉄道会社として誕生し、明治39年(1906年)4月2日に営業を開始しているが、出発点ともいえる瀬戸軽便鉄道の計画については殆ど紹介されていないようである。この年表には、明治27年(1894年)5月24日堀尾茂助氏ら15人が瀬戸鉄道株式会社私設軽便鉄道発起願いを提出となっているが、愛知県公文書館に、明治29年(1897年)1月11日に河村吉太郎氏ら20人が逓信大臣に申請した資料2)がある。堀尾茂助氏はこの中に含まれていないなど種々の差異があることから、構想を改めて再提出したのかもしれないが、8月5日に堀尾氏と松永左衛門氏が発起人に追加されていることから、紆余曲折があったとも想像される。同年9月18日には他線への連絡や軍事上の利便をあげて軽便鉄道を普通(狭軌)鉄道に変更する予定を議決して、河村氏と堀尾氏が連名で当局に通告した資料もあり、年表とは差異がみられる。
 この案は受理されていないので瀬戸自動鉄道とは異なる点が多くても不思議でないが、軽便鉄道の申請書(私設軽便鉄道株式会社発起認可及び鉄道敷設申請書)に添付されたと思われる「目論見書」(図1)に、建設費等の内訳が分かる興味ある内容があるので紹介する。この「論見書」には日付がなく、文書が必ずしも系統的に保存されていないので確認は困難であるが、申請書に「別紙起業目論見書」とあり、この資料を指すと思われる。
 会社名は「瀬戸鉄道株式会社」(資本金2万円)で、本社を名古屋に置き、「名古屋から大森を経て瀬戸に至る」としている。路線は2フィーと6インチで(約76cm)で、長さ13マイル(20.8km)とある。ちなみに、瀬戸自動鉄道は大曽根〜瀬戸間10マイル6チェーン(約16.12km)であった。理由は分からないが、付図(図2)には上記の経路と異なって瀬戸まで矢田川/瀬戸川の南(現在の国道363号に相当する位置)に鉄道が記されており、起点は中央線大曽根駅付近で、古出来町付近へ出て東進する計画であったように思われ、途中で計画が変更されたのかも知れない。
 鉄道敷設費25万円の内訳は、鉄軌(レール)15マイル(24.15km)分で57,000円(1マイル3,800円)、15tの機関車は3台で18.000円(1台6,000円)、客車20両で10,000円(1両500円)、荷車(貨車であろう)30両で12,000円(1両400円)、緩急車2両で2,000円(1両1,000円)で、敷地買い上げ費11,440円(1坪50銭・長さ1間につき平均2坪)、停車場倉庫地5,000円(名古屋市分3,000円・瀬戸分1,500円・大森分500円)、移転費3,000円(1坪5円・建屋600坪分)、橋梁/カルベルト19,500円(39か所・カルベルトは線路等の工事によって分断される水路や道路にたいする暗渠や橋などの付帯工事)、線路土工費57,200円(芝附け・下水等を含め、1間につき5円)、砂利費11,440円(1間に付き5合・「合」は尺貫法による地積の単位で1/10歩、即ち0.33平米)、鉄道敷設費5,720円(レール/枕木の運搬/据付等の費用・1間に50銭)、停車場、倉庫、フラトホルム等家屋建設費10,000円(1,000坪分・フラトホルムはプラットフォームか)、電信費2,000円(名古屋〜瀬戸間)、信号費1,000円(各停車場分)・諸器械費1,000円、運送費1,000円(器械の運送/組立費)、監督費5,000円(完工までの 監督技師の報酬)、創業費3,000円、予備費1,400円となっている。
 収支概算に貨物が10貫目(37.5kg)を13マイル(20.8km)・4銭3厘として、1年間に600万貫(22,500t)で25,800円、乗客が1人に付き13銭で往復200人として1年間に8,490円を目論んだようである。その他の収支については割愛する。ちなみに後日に瀬戸自動鉄道が開業したときは、資本金が23万円であったが、当初の瀬戸〜矢田は、9マイル20チェン(14.8km)5)であり、大曽根まで延長して10マイル6チェン(16.1km)6)と路線が短縮されており、経費を少なくしたのであろうか。現在の経路は矢田川をまたぐ瀬戸線としては長大な橋梁を必要とするが、南の路線は矢田川より小さいが、香流川、本地川、山口川の3本の川に橋梁を要するので、この経費も節約になったのかも知れない。
当時の物価は「物価の文化史事典」3)によると、米(標準米上)の1石が14円13銭(1kgが、ほぼ10銭)で、公立小学校教員(東京)の初任給(月額)は10〜13円、東京〜大阪の鉄道運賃が3円97銭、山手線の初乗りが5銭とあり、現在の1万分の1程度になるようである。
 ちなみに、瀬戸自動鉄道開業時に使用したセルポレー式原動車(C号)の購入費は3,800円であったとのことで、この目論見書にある機関車の見積もりの1両6000円からみて経済的にも思えるが、同じ資料にA号・B号は2両で19,000円1)とあり大きな差がある。C号が明治37年(1904年)11月製、A号・B号は明治36年(1903年)11月製4)で、C号の価格には高価な補修部品(直径2インチの特殊金属性パイプが70本使用されており、1本50円位5))を含んでいる可能性もある。

文献
 1)伊藤正「瀬戸線の90年」郷土出版社、p.227、1997.
 2)国文学研究資料館 所蔵 瀬戸鉄道軽便鉄道関係資料「私設軽便鉄道株式会社発起認可及び鉄道敷設申請書・目論見書・発起人加名届け」明治29年.
 3)森本卓郎監修「物価の文化史事典」展望社、2008.
 4)山田 司ほか「せとでん100年」中日新聞社、p.22、2005年.
 5)三春生「十日間のたび」(電気之友、p.766、明治38年8月)。
 6)午来生「瀬戸電気鉄道」(電気之友、p.733、明治43年5月15日)。


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