ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2017-10-03 22:45:48 |
2017年10月吉日
南軽出版局事務担当 この写真集は、けむりプロのメンバーが1960年代後半の台湾・阿里山で撮影した2500点以上の写真から厳選した画像と、地形イラストや図面などで、この鉄道の魅力を語りつくしたものとなっております。また、あわせてシェイ式機関車の歴史や構造、当時としては画期的な集運材技術体系や、明治末期に日本人の手によって大規模な森林鉄道が建設されたいきさつなども、新たに発掘した資料を用いて解説いたしました。 阿里山鉄道は、現在も観光鉄道として存続しておりますが、かつての森林鉄道としての全容、その生い立ちと歴史を知ることのできる日本語の書籍としては、現在唯一のものだと思います。ページ数は144ページ、折り込み付録付きとなっています。 タイトル : 阿里山森林鉄道1966−1968 発 行 日: 2017年10月1日 第1版 定 価: 2900円(税別) 著 者: KEMURI PRO. 発 行: 南軽出版局 http://nankaru.info 企画・編集: 下島啓亨 杉 行夫 片岡俊夫 撮 影: 杉 行夫 井上一郎 梅村正明 下島啓亨 解 説: 杉 行夫 井上一郎 梅村正明 下島啓亨 片岡俊夫 須々木裕太 高橋 滋 写真提供 : 裏辻三郎 大野眞一 古橋正三 井部 治 後藤新平記念館 四国森林管理局 John R.Cummings Allen County Historical Society 制 作: 近藤和磨 松本典久 中部浩佐 永澤吉晃 図面作成 : Classic Story 山川良一 地図作成 : 下島啓亨 片岡俊夫 近藤和磨 表紙・レイアウトデザイン:近藤和磨 資料提供・編集協力: 酒井秀夫(東京大学森林利用学研究室) 洪 致文 浅野春二 稲野政男 荻原俊夫 川村清志 近藤一郎 合田 啓 関田克孝 高橋 滋 古橋三久 堀内ぶりる 三宅俊彦 東書文庫 北海道大学附属図書館 札幌市中央図書館 販売店 書泉グランデ、書泉ブックタワー、旭屋書店なんばCITY店、Models IMON各店、エコーモデル、さかつうギャラリー、天賞堂、モデルワム、ホビーショップ・ケン、イチフジモデルショップ、岡山模型店DANなどで取り扱っていただいております。 「南軽出版局」とは 軽便鉄道の魅力を伝え継承する目的でつくられた非営利団体です。これらの制作物によって得られた収益は、羅須地人鉄道協会で行われている軽便車両の保存維持費用に充てています。南軽出版局の名称は、かつて、けむりプロの作品として発表された「南部軽便鉄道」にちなんでいます。現在ではホームページ(http://nankaru.info/)による情報提供も行っておりますので、合わせてご覧いただければ幸いです。 目 次 Alishan Logging Railroad 1966-1968 ありさんしんりんてつどう 阿里山森林鉄道 阿里山への途 2 台湾に森林あり 日本統治下での大規模開発 シェイ生存のたよりに触れる 戒厳令下の台湾・阿里山へ 海抜2274mの天上へ 8 奮起湖登攀の拠点 大崩落地を越えて 二萬平 建設時の終着駅 Shay森の中を行く 第3分道 神木 第4分道 阿里山駅到着 雲の上の森林鉄道 36 絶壁を抜けて塔山線 尾根の上のロギングライン 最奥地 多多加*線 海抜2580m森のない終点 山を下る運材列車 流された91号橋梁 トンネルと橋梁の話 * 「多多加」の3文字は、いずれも口偏がつく 72kmで2240mを登る 74 ジャンクション竹崎 阿里山森林鉄道 田園地帯を走る 貯木場と車輌基地 北門 街中の接続駅 嘉義 Shay Geared Loco 90 A18-2class B28-2 class Shay Locomotives in Pitch Black & Timber Trestles Timber Trestle Bridges in Alishan Scenery for Modeling 阿里山の車輌たち 108 スケルトンカー/客車・貨車 柴油車(ディーゼルカー)・汽油車(ガソリンカー) 編成のバラエティ シェイ式機関車のこと 116 阿里山18t/阿里山28t Shayの歴史 Shayの種類 日本に来たShay Shayのメカニズム 阿里山開発の歴史 126 前例のない森林鉄道計画 困難を乗り越えて 米国製林業機械の導入 阿里山から広まった技術 台湾の森林鉄道 134 土牛(八仙山)森林鉄道 哈崙(木瓜山)森林鉄道 嵐山(太昌山)森林鉄道 羅東(太平山)森林鉄道 林田山森林鉄道 林栄の林用手押軌道 追想 140 「あとがき」 南軽出版の写真集が6冊目をむかえた。台湾・印度・ブラジルの2’軌間の鉄道から始まり、今回は2’6”軌間の鉄道である台湾・阿里山鉄道である。この鉄道には、TMS誌のシェイロコの記事に触発され、1966・67・68年と連続して訪れ、私としてば最も力を込めて取組んだ。67年に初めて接することの出来た林場線は、嘉義〜阿里山の本線を凌ぐ鉄道情景の数々にとりかこまれていた。思い返せば66年に訪れた初日の阿里山の夕方は雲海であった。68年阿里山を去る日に行った[口多]々[口加]線の橋梁も雲海となった。阿里山鉄道では雲海に迎えられ、雲海に見送られた。この地でみた雲海はこの2度だけである。(杉 行夫) 半世紀前、台湾の阿里山のShayの情報を知って、ぜひ行こうということになり、カメラを2台、フイルムを100本準備し、夜間撮影用の強力フラッシュ球等を持ち勇んで阿里山に向かいました、現地の時刻表を見てガックリ、夜は列車が走っていない。アメリカの森林鉄道の夜の写真を見てこんな写真をという夢は脆くも崩れ去っていったのでした。日本に帰って調べるとアメリカでも夜間撮影はやらせだったのです、青春の苦い経験の一幕でした。これが、テインバートレッスルとShayとロギングカーの模型を作って橋の下から夜間撮影をしようという私の心象鉄道の始まりです。(井上一郎) 当時の台湾は戒厳令下、台北のホテルで待ち受けていたのは警察からの呼び出しだった。観光といいながら4日も5日も山の中で何をしていたのかと。趣味で鉄道写真を撮るという発想はこの頃の台湾には無かったらしく、いくら説明しても理解してもらえない。それでも何とか誤解が解けて雑談になった。「ところで君たらはいつ帰国するのか」「仲間の一人は今日帰国するので空港に向かいました」そのとき係官の顔色が変わった。「大変だ、君たちは今出国停止になっている。すぐ空港に連絡しないと飛行機に乗れない」どうやら拘束こそされなかったもののスパイ容疑の一歩手前だったようだ。(梅材正明) 60年代に私は竹崎までしか行っていないが、後に山線が不通だった頃に二萬平駅のホーム脇から崩れ落ちている巨大な絶壁を眺めたり、屋久島の針葉樹林帯によく似た阿里山の森から谷越しに大塔山のそびえている姿を見て、この山の深さを知ることができた。阿里山鉄道は日本人が建設したものだが、日本には他に例のないスケールの大きな森林鉄道で、シェイギヤードロコを導入し使いこなしたことも野心的だった。明治末期、国おこしに尽した先人の開拓心を窺い知ることができる。 夢にまで見た大木橋を、巨木を牽いた蒸機が行く雲海上の森林鉄道。2000m以上の標高差を、70kmにわたり地形を縫って登る軌道。これらの魅力的な情景を記録しえたのは、けむりプロの活動の中でも最大の成果である。この大森林鉄道の姿を美しく世に残すことができたことを幸せに思う。(下島啓亨) |
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