ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2008-03-18 17:32:32 |
非営利活動法人 名古屋レール・アーカイブス 2008年2月 NRA NEWS No.3 一口メモ(3) 1 名鉄史の謎3題 2 昭和17年の新聞より 3両の古典機 白井 昭 1 名鉄史の謎3題 (1) モ853、854電装解除 NRAの保存資料から昭和17年7月、モ853、854を制御車に改造の件の文書を発見した。また、MM編成の床下艤装図もあり、編成時に床下が同方向となるよう艤装されていた。 (2) ク620形 申請用の文書にク621〜624の計画があり、自重15.0トン、定員74人とあるが、実現せず、時期、内容は不明です。 (3) デキ400の空気上昇パンタ 昭和5年の図面でデキ400用としてTDKのD1形空気上昇〔下降定位〕パンタの図があり、写真も新製時はD1パンタ2基だったが、戦中にWH1基になっていた。 国産の売り込みと思われるが、D1形の省形式は不明で、EL用の設計であるが、予備もなく、保守は当然困るだろう。 2 昭和17年の新聞より 「3両の古典機」 この年は、ミッドウェイの敗戦が重く、鉄道のニュースも軍機保護法で減る一方だった。その中ではじめてC59の5銭切手が発売され、あまりにうれしくて20枚も買ってしまった。1円は名古屋〜豊橋間の運賃に近く、今の5,000円に近い。当時の小遣いは普通5銭であった。 17年秋にはそれまでの豊川線を国有化すると発表されたが、飯田線の名はなく、名前の発表は一年あとであった。 この中で昭和17年10月の地元新聞(新聞名不詳)に出たのが、この写真入り記事で、驚き喜んで60年余保存しておいたのが、これである。 709は昭和11年、三鉄より鉄道省に買い取りを申し込み、浜松工場で整備の上、蒲郡線の貨物用に使用したが、ガソリン不足で、16年より客車も引いた。同線のキハのうち、キハ150は木炭車にしたが、すぐダメになり、SL牽引になった。 昭和16年には西部より12号が来て、専属にとなり、17年には名は鉄が豊川鉄道の3を買って、13に改番し、蒲郡線に入れた。 12は蒲郡線西浦車庫張り付けとなったが、他のSLは東名港と兼務で、東名に軍事輸送の方が重要なため、戦争末期にはかなり東名に取られ、蒲郡線のダイヤはガタガタになった。 19年には鉄道省からキハ6401、6402の導入を試みたが成功せず、代わりにサ10形が入った。 とにかく、この新聞は私にとって思い出の新聞です。 |
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