ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2015-01-23 23:09:38 |
株式会社エリエイ
http://www.eriei.co.jp タイトル: THE rail No.93 発 行 日: 平成27/2015年1月21日 定 価: 本体3,600円+税 荷造送料450円 発 行: 株式会社エリエイ/プレス・アイゼンバーン U R L: http://www.etrain.jp/ e.mailでの問い合わせ先アドレスは info@eriei.co.jp 図書符号: ISBN978-4-87112-493-5 C1065 \3600E [スタッフ] 企画・編集 前里 孝 編 集 顧 問 寺田貞夫 発 行 平井憲太郎 写 真 補 正 脇 雅恵・秋山瑛美 デ ザ イ ン 前里規子 写真スキャニング 株式会社日報 印刷・製本 昭栄印刷株式会社 もくじ 気多森林鉄道 熊切森林鉄道概史 星野真太郎………………………………… 4 ■はじめに 今から遡ること47年前,静岡県浜松市の市街地から50km余り北方の山中に,森林鉄道が走っていたことをご存知だろうか. 平成17/2005年7月1日に浜松市に編入合併された周智(しゅうち)郡春野町に,昭和35/1960年まで気多(けた)森林鉄道が,昭和43/1968年まで熊切森林鉄道が存在していた.気多森林鉄道は天竜川水系の気田川沿いを,最盛期には総延長33.034kmにもおよぶ鉄道で,遠く旧水窪町内にまで足を伸ばしていた.熊切森林鉄道は杉川の上流の奥深い山中を走っていた. 当時の写真や気田営林署元職員の聞き取りを基に,この二つの森林鉄道の往時を偲びたいと思う. なお,“気多”と“気田”の表記の違いであるが,かつて存在した行政単位は気多村,平成17/2005年に統合により廃校となった中学校は気多中学校,河川名は気田,現在の地名は気田である.営林署は終始気田であるが,森林鉄道の表記は当稿では“東京営林局百年史”に従って気多森林鉄道とさせて頂く. 昭和30年頃の“江ノ電”の沿線で 河村かずふさ………………………………40 “江ノ電”開業100周年の頃 脇 雅恵…………………………………………74 佐藤康二作品集 昭和40年代前半 東京周辺の蒸気機関車…………………………………………78 資料:昭和41/1966年10月1日現在の平機関区及 昭和42/1967年10月1日現在の郡山機関区 会津若松運転区機関車運用表 附:水戸鉄道管理局管内 機関車配置表 提供:三宅俊彦………………90 ヤードマン………………………………………………………………………………98 ヤードマン ■星野真太郎さんが全貌を明らかにしてくださった静岡県のふたつの森林鉄道.これまでは,その存在すら一部にしか知られておらず,貴重な資料として刊行できることは,編集者にとって大きな喜びです. ■“江ノ電”.南関東地方の人々にとっては親しい存在であろうかと思います.昭和40年代には存亡の危機に立たされたこともありましたが,今ではすっかり一般の観光客にもお馴染みの存在となっているのは,喜ばしいことです.今回は河村かずふささんが,いつもの語り口による文章と情緒溢れる写真で昭和30年代前半に足繁く通っておられた頃の様子を伝えて下さいました. ■河村さんの稿をまとめるに際して,最初は“江ノ電の今昔”を企画していました.しかし,いつも抜群のセンスで写真の仕上げや補正を担当してくれている脇 雅恵が,同社の開業100周年前後に同線を訪問していたことが判明.河村さんの稿で紹介されている,デビューしたばかりの新鋭車300形や500形の最終期の姿などを併せてお目に掛けることにしました.写真とともに,記念スタンプもお楽しみください. ■今回の締めくくりは,佐藤康二さん撮影になる,昭和40年代前半の東京周辺の蒸気機関車たちです.佐藤さんは本文前書きにも記した通り,昭和26/1951年の生まれで,惜しくも57歳で逝去されています.緑あって遺されたネガ類を拝見することができたのですが,“本当に高校生…あるいは中学生…が撮影したのか?”と思わせる作品群をそのまま埋もれさせるのは惜しいと考え,今回のグラフ構成となった次第です.今後も,折りに触れて作品をお目にかけたいと考えています. ■このグラフにちなんで,三宅俊彦さんが昭和41/1966年現在の水戸鉄道管理局管内機関車配置表と平機関区機関車運用表,そして昭和42/1967年現在の郡山機関区と会津若松運転区運用表を提供して下さいました.配置表には機関車ごとの主要装備も付記されていますので,存分に活用していただけるものと思います. ■月刊時代の“レイル”に新性能国電に関する記事を多数寄せてくださった吉田明雄さんが3月6日に逝去されたと,ご子息からご連絡をいただきました.88歳でした. ■11月には,木製客車に造詣が深く,また,昭和20年代の南東北の鉄道状況を丹念に記録されたことで知られる瀬古龍雄さんが亡くなりました.弊社で永年の企画であった“日本の客車列車”は,未完となってしまいました.昭和3/1928年生まれでした. ■ご冥福をお祈りいたします. |
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