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No.5607 (Re:5606) 【南軽出版局】助六 あとがき
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2018-10-04 21:00:58
「あとがき」

人はなぜ森林鉄道に心惹かれるのであろう。深山幽谷に分け入っていく細い線路。森の中を行く小さな運材列車。そして侘び寂びにも通じるその有様。それらはまるで山の神々がくれた宝物のようであった。うぐい川、助六、木曽の山奥に展開された驚くべき鉄道情景は、まさに自然と鉄道が織りなす宝物にほかならなかった。
その宝物に魅せられて、気高さと美しさにカメラを向けた森林鉄道愛好者たちの記録をお届けしようと思う。(桟敷 正一朗)

2017年の阿里山鉄道に続いて、7冊目の写奥集は助六である。初めて木曾森に行ったのは1962年8月、高校3年の時であった。この年、夏の高校野球の主戦投手遠藤凱孝は幼稚園の同級生。神奈川大会を勝ち進み、何と甲子園に出場してしまった。応援に行く前、鉄道研究会の夏の合宿で濁川温泉を訪れたのだ。蒸気機関車のいない鉄道には興味を覚えなかったが、ここの小さなTimber Trestleには目を奪われた。1973年8月、町田の種山ヶ原で、助六の写真を見せられた。驚愕の1枚。これ日本にあるの?1975年10月、多くの方のお世話で遂に助六に立った。(杉 行夫)

高校1年生の時に中央西線にD51の写真を撮りに行き、対岸を走る小さな車両に興味を持ったのが始まりだった。その後、運材列車や旅客列車を撮りに通ったが、ある日、大鹿の主任だった脇田さんから助六の写真を見せられた。C4ばかりを撮っていた私は、この時の衝撃は今でも忘れられない。これがきっかけとなりうぐい川線にのめり込んでしまったのだが結局それが一生の道楽になってしまった。当時の写真が陽の目を見るのは嬉しいことであるが、それ以上に憧れだったけむりプロの方々と一緒に仕事が出来たのが、嬉しかった。(高橋 滋)

高校2年生だった1974年の夏休み、K先輩N先輩から聞いた「大鹿から分岐するうぐい川線の終点」という情報だけを頼りに訪問した助六で見たのは、それからの鉄道趣味の指向を変えてしまう程強烈な山と鉄道の織り成す世界でした。あれから40年以上経って、お世話になった両先輩が助六の本を纏めるお手伝いをするのは人の縁と人生の不思議を感じます。誰でもネットで情報を手軽に入手できる時代になりましたが、若い皆さんは是非冒険旅行に出掛けてみてください。きっと何か得るものが有るはずです。(須々木 裕太)

「写真を撮りに来たので泊めて欲しい」という勝手な願いを受け入れてくれた大鹿の脇田主任・長原副主任をはじめ現場の方々の寛容な対応、濁沢の野中増吉翁との出会いが無ければ、五段木橋のある作業線には行き着けなかったかもしれません。2回目の訪問で成果を残せたのは、その年から羅須地人鉄道協会の活動を共にしていた西村光さんのお力添えによるものです。そして、探索の動機・原点が何処から生まれたかと考えてみれば、おそらくそれは中学2年のときに読んだ、けむりプロ『南部軽便鉄道』不動沢と太郎沼の光景でした。(片岡俊夫)

2018年9月30日 なんかる林鉄班