ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2019-02-25 01:03:47 |
鉄道博物館
THE RAILWAY MUSEUM 2019年 2月21日 鉄 道 博 物 館 2019年春の企画展 「鉄道マンの仕事アルバム ―鉄博フォトアーカイブ展」の開催について 本展では、当館の所蔵資料のうち約13万点を占める写真資料の中から、鉄道に従事する人々の姿や仕事の様子を撮影した写真に焦点を当て、展示します。 写真に記録されている懐かしい道具類の実物や、昭和50年代に撮影された貴重な映像資料なども交えて、いつの時代も変わらない鉄道マンの魂と、安全輸送にかけるひたむきな姿をご紹介します。 1 会 期 2019年3月9日(土)〜6月30日(日) 2 会 場 鉄道博物館本館2F スペシャルギャラリー1 3 入場料 無料 ※鉄道博物館の入館料のみでご覧いただけます。 【参考】鉄道博物館入館料 一般 小中高生 幼児 1,300円 600円 300円 ※幼児は3歳以上未就学児。いずれも消費税込み。 4 主 催 鉄道博物館 5 後 援 さいたま市 東日本旅客鉄道株式会社 6 展示内容 別紙のとおり 別 紙 ■主な展示内容 T. 列車を運行する仕事 1872(明治 5)年の鉄道開業時、列車を運転する「機関方」はすべて外国人でした。1879(同12)年に日本人初の機関方が誕生し、列車を運行する仕事を担うようになりました。「花形」ともいえる蒸気機関車の乗務員の仕事は、熱や寒さ、煙と闘いながら列車を安全に運行する責任を担う、大変な重労働でした。ここでは列車運行に携わる鉄道マンの姿を紹介します。 鉄道職員明治30年代 <岩崎・渡邊コレクション> 日本で最初の私設鉄道である日本鉄道の乗務員たちを撮影した写真。給炭台の上には石炭が入った笊(ざる)が多数重ねられており、こうした方法で機関車に石炭を積み込んでいたことがわかる。 機関助士の投炭訓練 1930(昭和5)年頃 東京鉄道局の教習所で行われた投炭訓練を撮影したと思われる写真。 U.車両をつくり、守る仕事 昔から注目され、憧れの対象であった鉄道車両。鉄道が安全に走り続けるためには、精巧な車両製造技術のみならず、日常的な点検や清掃をはじめ、車両を分解して精密に状態を判定し、適切な修繕を続けていくことが不可欠です。ここでは大きく重い車両を、機械油にまみれながらつくり、守り続ける鉄道マンの姿を紹介します。 働く人 <動輪に挑む > 1955(昭和30)年 蒸気機関車の修繕を行う姿。いずれの部品も大きく重いため、大変な重労働が続く。 鉄道院新橋工場新車工場組立部 明治期 鉄道車両の工場は分業体制になっており、それぞれ専門の部分の修繕や製造を担当している。手前には製材された木材が積み上げられている。 V.設備や電気を守る仕事 鉄道は、線路や土木構造物、電気設備や信号機器など、多様な設備が必要で、これらのすべてを適切にメンテナンスし続け、常に正確に機能するようにしなくてはなりません。各分野の専門担当者が、設備や機械の保守工事や稼働確認をするだけではなく、時には木を育てたり、鳥の世話などをしたりして、巨大な鉄道システムを支えてきました。その仕事の記録を紹介します。 大井連絡所 1900(明治33)年頃 1901(明治 34)年、東海道線から山手線大崎駅を結ぶ支線(大井支線)が開業し、その際設置された大井連絡所の写真。転轍機の連動装置を調整しているところではないかと思われる。 舎内の親和 仙鉄局 1935(昭和10)年 1934(昭和9)年9月の室戸台風の被害により、通信の確保が大きな問題となった。そこで緊急時の補助的な手段として、「伝書鳩」の利用が検討され、鳩の飼育が始まった。 W.駅、線路をつくる仕事 鉄道建設は、駅ホームや築堤、高架橋、トンネルなどの巨大な構造物を構築し、線路を敷設する、大規模で時間のかかる工事です。また、改築する際には、列車の運行を止めずに安全に工事を進める必要があり、高い技術力を要します。数多くの技術者、職人の技術を結集して完成した構造物は、その後 100年以上にわたって、多くの人の行き来を支え続けているものも少なくありません。このような鉄道の根幹を支える仕事に従事する鉄道マンの姿を紹介します。 揖斐川橋梁試運転の日 1928(昭和3)年 関西本線揖斐川橋梁が完成し、試運転の列車も止めて撮影した豪快な記念写真。機関士など運転関係の人も一緒に写っている。 清水トンネル工事の神事 1923(大正12)年頃 清水トンネルの工事は 1922(大正 11)年に着工し、翌年に掘削を開始、最新の技術を駆使して工事が進められた。写真は掘削開始直後に土樽側で行われたと推測される神事を撮影した写真。 X. 駅の仕事 駅は、人々と鉄道をつなぐ接点であることから、利用者の立場で撮影された写真が多く残されているのが特徴です。本展では、そのような駅舎を外側から撮影した写真のみならず、駅の中で、さまざまな仕事をする鉄道マンの姿を撮影した写真も展示します。また、時代の変化と共に、今では見ることができなくなった駅の仕事の貴重な記録も紹介します。 浦和駅職員 1904(明治37)年頃 1883(明治16)年に開業した日本鉄道(現在の東北本線 )浦和駅。線路わきに椅子を置いて記念撮影をしており、駅職員のほか様々な人が写っている。 信号掛 1952(昭和27)年 信号やポイントの切換も駅員の仕事で、かつて信号機はワイヤーで、ポイントは連結桿(れんけつかん)で「てこ」に機械的につながれていた。 Y. 幅広い多種多様な仕事 利用者が快適に鉄道の旅をする上で不可欠な飲食販売などの構内営業や、鉄道の技術開発を専門で行う研究所など、多種多様な仕事が鉄道を支えています。技術進歩の結果、なくなった仕事もあります。鉄道の仕事の幅広さを知ることができる多様なシーンを記録した写真を紹介します。 土佐丸 昭和30年代 鉄道は、橋梁が架けられないような大河川や海峡を越えるために、鉄道と鉄道を結ぶ「連絡船」を運航してきた。この写真は、宇高連絡船「土佐丸」のブリッジを撮影したもの。 水沢付近 老人を背負う職員 1967(昭和42)年 1967(昭和 42)年 8月に発生した山形新潟集中豪雨(羽越豪雨)では、米坂線で土砂崩れなどが発生し、団体列車の旅客が山間で取り残された。旅客を背負って道なき道をゆく、鉄道マンの姿が記録されている。 |
|
|