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No.228 【映画】ダージリン急行 3/8〜 [プロダクションノート]
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2008-02-06 21:31:15
20世紀フォックス映画

ダージリン急行
http://www.darjeeling-movie.jp

3月8日(、シャンテシネ、恵比寿ガーデンシネマ、新宿武蔵野館ほか全国公開

全員乗車!!『ダージリン急行』が作られるまで

 ウェス・アンダーソン監督はいう。「僕は以前から列車を舞台にした映画を作りたかった。移動するロケーションというアイディアが好きだからね。舞台が前に進むに従い物語が進むんだ」
 列車は映画史の初期の頃から映画作家たちにインスピレーションを与えて来た。1895年、先駆者リュミエール兄弟は、50秒の映画『汽車の到着』で、自分たちに向かって来る映像など見たことがない観客たちを驚愕させた。1903年、エドウィン・S・ポーターは、映画史上初の物語性のある映画『大列車強盗』を創造。以来『オリエント急行殺人事件』の有り余るほどの洗練さから、『ビートルズがやって来る/ヤァ!ヤァ!ヤァ!』のめまぐるしい混沌まで、列車はあらゆる種類の旅において、あらゆる種類の登場人物達を文字通り動かし続ける手段となっている。
 アンダーソン監督が呼ぶところの"列車"(train)とは、ただの機関車(locomotive)ではなく、世界一の鉄道大国インドを縦横無尽に走る列車だ。広大で爆発的に成長する国インド。色彩、文化、美、不合理、貧困、精神性が織りなすタペストリーたるインド。
 アンダーソン監督は、この映画を企画するまでインドへ行ったことは一度もなかったが、以前から、彼が大好きな映画に登場したインドの風景にホレ込んでいた。特に彼は、ジャン・ルノアール監督が、聖なるガンジス川の岸辺を舞台に若者達を描いた、圧倒的な映像美の『河』と、感情を揺さぶるインドの巨匠サタジット・レイ監督作品で描かれたインドの風景に感銘を受けた。この自分が住んでいる世界とはまったく相容れない世界インドに、彼独自のほろ苦いユーモアの感性を持ち込むというアイディアは、アンダーソン監督の好奇心をかきたてた。
 こうしてアンダーソンは、この物語を構成する3つの要素を織り込み、彼が創り出した3人の主人公をインドへと旅立たせた。アンダーソン監督は言う。「僕はインドで映画を作りたいと思い、列車を舞台にした映画を作りたいと思い、3兄弟を描いた映画を作りたいと思い、その3つの要素が入った映画を作ろうと決めた。それから友達のジェイソン・シュワルツマンとロマン・コッポラに一緒に映画の脚本を書かないかと誘って、3人でインドへ行ったんだ」
 インドへ行く前、3人はしばらくパリで生活して脚本を書き始めた。ジェイソン・シュワルツマンによれば、このプロセスは最初のうちは気軽でのんきだったものの、すぐに大叙情詩顔負けの大冒険の旅に格上げされたと言う。シュワルツマンは述懐する。「感傷的で空々しく聞こえるかもしれないが、最初僕らは、この映画の多くの部分を夜遅くにパリのカフェで書いてたんだ。ところがある時、ウェスが、"インドへ行ったほうがいいかも"って言った。そこで、2006年の3月に3人でインドへ行き、その瞬間から、僕らが書いている内容そのものを実際に体験することになったんだよ」
 3人の主人公達を創り上げる上で、アイディアの大もととなったのは、このインド旅行におけるアンダーソンとシュワルツマンとコッポラ自身の体験と3人の関係だと言うロマン・コッポラ。「最終的に僕らは、自分個人の体験を分かち合い、アイディアの幾つかを思いつき、それをこの物語に織り込んで行った」

ダージリン・リミテッドの車内にて:走る列車のデザインと撮影
 インドへ行く以前からウェス・アンダーソンは、本物の走る列車で本作を撮影したいと考えていた。最初このアイディアは、クリエイティブな面ではプラスでも、準備や手配の面で論外に思えた。本作は、インドの北西にある、宮殿が連なるラージャスターンの砂漠地帯で撮影された。その大地を渡る線路の上をダージリン・リミテッドが走り、ジョドプールからジャイサルメールまで、パキスタン国境近くのタール砂漠を走り抜ける。

 プロデューサーのピルチャーは言う。「私たちはノースウェスタン・レイルウェイズ社が管轄する地域へ出かけた。実はあの会社はそれまで撮影を許可したことなんてなかったのよ。それでも私たちは果敢に彼らに頼んだの。客車10台の列車を3ヶ月借りたい。その車内の内装を全部外して、こちらの希望する内装に変えて、実際の線路を走らせたい! もちろん前代未聞よ。山のようなお役所仕事の連続。何度ももうムリと思ったわ」
 それでも彼らは何とか前進した。製作者たちがビザンチン・インド(ラージャスターン州はかつてビザンチン帝国の領土だった)のお役所仕事と格闘する一方、プロダクション・デザイナーのマーク・フリードバーグは、紙の上で列車の内装をデザインし、インドのクラシックな列車や偉大なる列車旅行映画を研究した。
 フリードバーグとアンダーソンは、まず、典型的な旅客列車に乗ってラージャスターン州を横切ることで、インドの鉄道の歴史を学び、列車の旅の雰囲気を肌で感じようとした。19世紀半ばインドの広大な土地に鉄道網が整備され、インドに列車旅行の習慣が導入された。今やインドの鉄道システムの利用率は世界一で、1日1500万人もの人々が乗車している。車両そのものは、こぎれいでエアコンがきいた現代の客車から、一時代昔のクラシックな工芸的な蒸気機関車まで様々だ。
 インドの鉄道について十分理解したフリードバーグは、映画史の中で列車がどう描かれてきたか見るために、列車映画の研究を始めた。フリードバーグは説明した。「最終的に我々は、インドの実際の列車に、オリエント急行のような豪華な国際列車や現代のユーロ横断列車の雰囲気を合体させた」 フリードバーグは付け加えた。「それに"20thセンチュリー・リミテッド"を参考にしたよ」 "20thセンチュリー・リミテッド"はニューヨークを本拠地とした客車急行で、鉄道マニアたちには"世界で最も偉大なる列車"と呼ばれている。
 そしてできあがったのが東西ハイブリッド・デザインだ。フリードバーグは言う。「我々は、ラージャスターン様式の柄模様とインド鉄道の色遣いに、モダンなアールデコ様式をブレンドした。ただし全てが、インドの伝統にのっとり手工芸だ」
 この列車に活気ある命を吹き込むため、フリードバーグは美術監督のアダム・ストックハウゼンとグラフィック・アーティストのマーク・ポラードと綿密に協力して、列車に使う色合いや風合いを選び、インドの伝統的な織物や染め物を使い内装を創り上げ、また彼らの指揮で、客車車体外部には、地元のペンキ職人たちが、何百頭ものゾウが描かれた巨大タペストリーを創り上げた。彼らは昼夜の2交替シフトを組み24時間働いて撮影に間に合わせた。
 フリードバーグは、こうした地元の工芸家達と一緒に仕事することによって、強烈なインスピレーションを与えられたと言う。「インドで働くのは、悠久の時を遡る旅だったよ。インドは真の手工芸の国だ。2つとして同じものはなく、機械的にぴたりと合うものはない。この最後の世代の関わることができたのは格別の喜びだった。彼らの仕事ぶりを見れば、より私的な美しい世界を体験できるだろう。もしこの客車をアメリカで作ったら、これと同じ豊かな個性と精錬さは絶対に出せない」
撮影日:
撮影場所:
キャプション: (C)Twentieth Century Fox Film Corporation
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