パシフィック(xndp5699) 2007-08-01 02:35:43 |
石田 敏弘さん、こんにちは。
ビールめぐり前にいろいろと訪ね歩いていらっしゃるようで。 若松は、列車でも往復していますし、調査で車でも何度か通っているところ。駅舎にある立ち食いそば屋で弁当(もちろんかしわめし)を買ったり、そばを食べたりしています。車だと対岸の戸畑地区へは若戸大橋を渡るか、鉄道に沿ってちょっと西へ戻るかのどちらかですね。 若戸大橋は、小さい頃に見た図鑑か何かで、音頭の瀬戸の螺旋式取り付け道路を通る橋と並んで、赤く、高い吊り橋というのがすごく印象的で、いつかここも見に行きたいというのが数年前に実現しました。 橋の下をくぐって気付いたのは、若松あたりで見上げると、上り線と下り線との建設時期が違っているようで、取り付け部の桁が異なっているんですね。で、調べてみると当初は2車線で開業、その後交通量の増加から4車線に拡幅とあって、吊り橋での拡幅ってどうやるんだろう?と思っていたのですが、同時に歩道を廃止しているので、これがミソだったんでしょう。当初から吊り橋の主塔と、吊り橋の桁は四車線を想定して作ってあったに違いないでしょうね。 また、渡船もその歩道廃止と関係あるのか?(歩道廃止で運航開始?)と思ったのですが、渡船はもちろん吊り橋のできる前からあったそうで、若戸大橋が出来るときには廃止論議があったようですが、市民の要望により橋の歩道と共存することになったようです。けれど、あれだけ高い橋の上まで行って(エレベータがあったのかな?(昭和37年に??))渡って降りる、では面倒なものでしょうから、すぐに乗り込める船の方が便利だったでしょうね。若戸大橋の歩道廃止で、いまでは需要が高いのだろうと思われます。 そうそう、若松”支線”に乗ったのは、ちょうど最後の客車列車が廃止された直後だったので、まだ若松駅には機回しのポイントと側線が残っていましたし、駅舎の西?には往時を偲ばせる古めかしい石炭車(セムだったかな?)が置かれていました。 1年おきに北九州地区での調査がある予定なので、来年は時間を作って、渡船に乗って若戸大橋を眺めてみたいですね。あ、それから新若戸道路っていうのが、現地の看板からすると、吊り橋よりさらに海側に沈埋工法で海底トンネルとして平成20年度に開通予定とか。年度というと翌年3月かなあ。これも通ってみたいもの。 |
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