【談話室】汽車旅全般のわだい10 [READ ONLY]
No.927 (Re:922) 【紀勢線夜行】の想い出
▲ 飛遊人(xyvp7167) 2008-01-27 22:58:10
ゆきむらさん、こんにちは。

 紀勢線の夜行ですが、昔は、名古屋から新宮行き「急行紀州」が、天王寺から新宮行き「急行きのくに」の片夜行と名古屋〜天王寺の南紀号往復(実質夜行区間は新宮〜天王寺)がありました。

 名古屋発の急行紀州は早い時期に廃止されましたが、JR化後に臨時快速として、名古屋発熊野市行き快速「熊野磯釣り」が設定され、その後新宮行き快速「スターライト」になりましたが、利用率は低く長続きしませんでした。当時私は桑名に住んでおり、桑名で既に日付が変わっていたので、18きっぷ1枚で紀伊半島1週旅行ができました。
 南紀号〜はやたま号〜名無しの夜行鈍行の変遷が一番有名でしょうね。名古屋口の紀勢夜行は結構マイナーですね。

> 「はやたま」の補完で熊野花火のときに運転されていたという12系の客車列車は、残念ながら時刻表上でも記憶がないです。知名度が低くガラガラだったとのことですが、

 運転期間がどれくらいかは記憶がありませんが、大阪など長距離の旅客は定期列車に集中して居たのは間違いないです。私が利用したとき、和歌山の駅員さんが「定期は満員で行った」と言っていました。この列車も新宮までは相当な混雑でしたが、新宮で見事に空きました。
 熊野花火の帰りは、駅で入場制限しますので、定期臨時問わずに並んで乗れる列車に乗る。ですから、近距離旅客は定期臨時の区別・時刻表の存在意義はありません。

> 関東からですと、鈍行ではないですが、寝台特急「紀伊」が走っていましたね。確か「いなば」と併結だったかと。乗る機会もなく廃止になってしまいました。

 紀伊号ですねぇ、、私が初めて見た・初めて乗った夜行列車です。
 最初は急行「伊勢」号だったはずで、親の話ではSL牽引だったそうです。名古屋から能登号と併結していたような。その当時は、鳥羽発「伊勢」、紀伊勝浦発「那智」、奈良発「大和」が運転されており、紀伊号の前身になっています。
 記憶がはっきりしているのは、急行「紀伊」号になってから。当時は紀伊勝浦・鳥羽・奈良発の3階建てでの運転でした。私が乗ったのは鳥羽編成で、急行ではありますが2両編成、寝台車と座席車が1両ずつでした。すぐに多気で紀伊勝浦編成と併結、亀山で奈良編成と併結して東京へ向かいました。私は座席車しか乗ったことがありません。
 そのご、寝台急行紀伊号となり、名古屋から銀河と併結になったはずですが、この時代に乗車した記憶はありません。
 特急格上げで寝台特急「紀伊」号になってから何度か利用しています。当時まだ小学生〜中学生の私が一人で東京へ行くのに乗り換え無しの寝台特急を親は利用させました。この列車が私が初めて乗った寝台車です。併結相手は「いなば」後に「出雲?号」でした。
 DF50牽引、EF58牽引と機関車でもレア系の列車でした。

 大学生の頃列車は廃止され、東京への直通列車がなくなりました。