石田 敏弘(dnmp2980) 2007-05-09 04:30:59 |
こんにちは、石田 敏弘です。
>日中線の熱塩駅、たしかに良い駅舎ですよね。 >蒸機現役当時に行きたかったのですが、実際に行けたのはDL化されてからでした。その後、廃線になってからも2度だったかな、行ってます。近くに行くと寄りたくなるんですよねぇ、あの駅舎。 蒸気機関車の時代はC11が走っていたようですね。63号機が廃線跡の遊歩道に保存されています。さすがにSL時代は知りませんが、ディーゼル機関車が牽引する最晩年の頃に訪ねました。無人駅だった熱塩駅は荒れ果てて、廃線と同時に解体されるかと思いましたが、見事に修復されましたね。屋根のカーブがとても綺麗な木造洋館造りで、大正末期から昭和初期の建築だと思われます。 >ところで、大畑の駅近くの慰霊碑って、建設中の殉職者に対するものでしたっけ? 終戦後の引き揚げ者がトンネル内で煙に巻かれて列車から振り落とされ、その列車が登り切れずにバックしてきて次々とひいてしまったという大惨事があったのですが、その慰霊碑かと思っていました。 終戦直後の混乱期に起きた忌まわしい事故ですね。事故が起きたのは南方からの引揚者を満載した列車が登り勾配を登れずに発生しました。ですからサミットの矢岳駅の鹿児島側です。具体的には吉松から真幸への登り勾配の途中で、「いさぶろう」や「しんぺい」に乗ると解説のアナウンスが流れます。この事故の慰霊碑も現場近くに建っているようです。 大畑駅に建っているのは建設で殉職された方の慰霊碑です。建設されたのが明治時代ですから、現場の労働者は過酷な労働条件だったのでしょう。今では1日数往復のローカル列車と観光列車が走るだけの、のんびりとした路線です。 >真幸は、国鉄時代は実にきれいな枯山水でしたね。 さすがに伊藤博康さんは御存知でしたね(^^)。 私がこの区間を始めた乗車したのは昭和50年代の後半で、急行「えびの」が活躍していた頃です。スイッチバックを行き来する列車を、直立不動で見送る駅長さんの姿が雑誌に紹介されていました。ちょうど国鉄末期で労使関係が悪化していたにも関わらず、駅員総出で枯山水を維持している、そんな美談も聞こえてきました。 石田 敏弘(VZG05000@nifty.com) |
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