パシフィック(xndp5699) 2008-01-24 01:17:22 |
ゆきむらさん、みなさん、こんばんは。
> タイトルに出てきた「ながさき」ですが、私個人にとっても思い出深いものがあります。北九州市内の高校に通っていたのですが、悪友三人との卒業旅行で、この「ながさき」に乗ったのです。 なるほど、発端はほとんど同じですね。高校2年の夏、こちらやはり悪友3人と山陰旅行。そのうちの一人が鉄ちゃんだったようで、この鳥取砂丘や餘部鉄橋を訪ねる旅に誘われて、最初に乗った夜行鈍行が「山陰」でした。旧型客車ばかり連ね、寝台車もつながっていましたから、当時の「ながさき」、「南紀」、「からまつ」と同じだったでしょうか。夜明け前の4:49、鳥取駅に着いた時刻も記憶しています。その5ヶ月ほど前に、水泳部の先輩らとスキー合宿(水泳部がなぜスキー合宿なのかは謎だが(笑))で初の夜行列車は急行きそ5号に乗っていましたので、ディーゼルより静かな夜汽車はこのときが初めてでした。 この旅行はその鉄ちゃんの興味を満たすべく(笑)、鳥取砂丘を見たり、岩美の観光船に乗ったり、餘部鉄橋の下にも降りて見学、浜坂駅から国鉄バスでしたか、蒜山高原まで乗車し、鏡ヶ成から大山寺、そして米子へとバス旅行のあと、名古屋まで急行「大社」のロングラン乗車。 このときの経験はその後、駅のスタンプ集めや、旅で乗った車両の記録などにつながっていて、2年後、同じく夜行鈍行の「南紀」で初の3段寝台車で寝ることになります。この「南紀」は、寝台車に乗るために乗ったようなもので、南紀ワイドの広さを利用して天王寺から新宮まで乗車しています。52cmの狭さを実感する旅でした。旅行記を書き始めるのは、この南紀旅行からですが、まだその頃は、レポート用紙の左に旅程を上から下へ、その右にメモ書き程度のものでした。 > 使ったきっぷは何だったかなと考えて、ハタと思い出しました。そう言えば、学割の一般周遊券を組んだのでした。これが、一般周遊券の初利用でしたね。 この旅は、「鳥取・浜坂ミニ周遊券」(名前あってましたっけ??)での旅行で、初の周遊券利用でした。学割を事務室で取ったり、友人同士の旅行ということで高校の生活指導部に旅程表を提出したりとけっこう面倒な手続きもありましたな。 それから、やはり大垣夜行。名古屋から東京へ、東京から名古屋へ。周遊券で北海道東北関東方面を目指すにも、貧乏旅行では新幹線の特急券はばかにならない。宿も兼用なら夜行で、となると東海道は必然的に大垣夜行でした。 今では首都圏の2階建てグリーン車にしばしば乗りますが、当時は普通グリーン券はこのためにあるようなもので、旅の始まりは元気で、上り列車こそボックスで寝てましたが、帰るだけの東京発はいつもグリーン。いつしかまわりの鉄仲間のあいだでは、”どんぐり”で帰名というのは合言葉になってました。 |
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