パシフィック(xndp5699) 2007-07-04 13:50:45 |
みなさん、こんばんは。
先週の出張では、焼津から標記の大崩海岸を抜ける県道(旧国道150号線)を車で通ってきました。 大崩海岸といえば、廃線に詳しい方なら、あああそこか、と思い当たるのではないかと思います。私が最初にこの名に接したのは、やはり廃線からで、JTBキャンブックスの鉄道廃線跡を歩くシリーズにあった、トンネル坑門が海岸に転落している写真は強烈な印象として残っています。 焼津からたどると、海岸線をたどる県道は高度を上げ、海からはかなり高いところをうねうねとたどっていきます。しばらくして下ってゆくとトンネルがあり、出口で急に右にカーブして、そこからは海上を渡る道路を走ります。トンネル出口での急カーブに何で?と思うその答えは、海上道路から左手に見える放棄された部分にありました。海岸の崖に沿って続く、柱が破砕しているような古く長い洞門、大量の土砂に埋まった崩落箇所、鉄骨の洞門そして新しい洞門が並んでその出口近くで道路は陸に戻り、すぐさまトンネルを出てくる東海道本線と並びます。東海道本線が日本坂を貫く石部トンネルの静岡側の坑口です。 弾丸列車計画で貫通した日本坂トンネルを東海道新幹線が使うことになるまで、東海道本線が使っていたこと、新幹線を通すためにもともと海岸近くを走っていた石部、磯浜の両トンネルを、海岸に出る部分を放棄して途中で繋ぎ、東海道本線は現在の石部トンネル経由となったこと、旧来の石部トンネルの焼津側坑口が海岸に転落していることは、廃線跡を歩くシリーズなどで知ったことです。 帰ってから、東海道本線やこの県道の海上迂回道路について何かないかとWebを探していたところ、一番解りやすかったのが、このページ。 http://www10.tok2.com/home/michibeya/road/sekibe/01.html 実際に崩壊しそうな洞門の内部にも入っちゃってますが(^^;、旧来の地図や当時の写真も掲載してあり、その変遷を知ることが出来ました。 昭和19年に弾丸列車計画の日本坂トンネルルートへ東海道本線は移設、そして昭和23年のアイオン台風で放棄していた旧石部トンネル焼津側坑口が崩壊したとのことですから、昭和37年に東海道本線を再度この旧石部、磯浜ルートへ戻すことはすでに不可能だったわけですね。 廃棄されていた両トンネルは、海岸線に建設された県道を補完する道路として使われていたとのことで、バスが走っていた写真もあります。また両トンネルは単線並列で、アイオン台風で崩壊したのは海岸側の下り線。その後も上り線側が道路として使われていたというのも初めて知りました。 海上道路への付け替えは、昭和46年7月5日に起きた崩落によって道路が通行不能となったため。不幸にして若者が一人犠牲となっています。洞門になっていることからしても大崩海岸とよばれることからしても、この海岸線道路の維持は大変だったらしく、当時は山側を迂回している国道1号線のほかは東名高速だけでしたから、この一般国道150号線を早急に繋ぐ必要があったのでしょう。わずか1年後にはこの海上道路が開通しています。 東海道という人や物流の大動脈、箱根、逢坂山に並ぶ難所の変遷を、県道を通るというカーナビの選択によって垣間見ることができ、またその歴史をたどることはなかなか意義深いものでした。 |
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