太田 尚(xbye3474) 2008-04-27 12:44:30 |
みなさん、こんにちは。
私は父親の仕事の関係で小学生の頃は函館、中学生の頃は釧路に住んでいましたので、夏休みには札幌の親戚のところへ家族で遊びに行くのが通例になっていました。 往きだけ国鉄を利用し、帰りは父親の運転する車でというパターンだったのですが、その中で一度だけ、1981年8月の豪雨で昼間の特急がすべて運休になり、運転再開の一番列車となった臨時急行の「すずらん61号」(函館→札幌)に乗車したのが道内夜行との付き合いの始まりですね。 #ちなみにこの時が14系客車の初乗車で、キハ183系より先の初乗車になりました。 その後、釧路に引っ越してからは私だけ先に夜行で札幌へ出発するパターンになったので、その流れで旧客時代の「まりも」グリーン車にも乗車しています。 国鉄末期に「北海道フリーきっぷ」が発売開始されたのを機に道内乗りつぶしに精を出すようになり、その時にも夜行には何度となくお世話になりました。当時まだ高校生だった私にはホテルに泊まれる金など有るわけも無く、乗り継ぎスケジュールの関係で「新得返し」「上川返し」「士別返し」も何回か決行しました。 名寄本線(遠軽)や天北線(音威子府)などでは夜行列車に接続する始発列車が朝4時台に設定されていましたので、これも乗りつぶしの際には重宝しましたね。道内乗りつぶしを始めた時に最初に乗車したのが「利尻」で、音威子府で天北線の始発に乗り継いだのも懐かしい思い出です。 就職2年目の初夏に、気分転換を兼ねてふらりと「大雪」に乗車して、明け方の車内から眺める朝靄に煙った風景が気に入ってしまい、その後夜行「オホーツク」が不定期化されるまでの15年間、毎年夏至の頃に札幌発の石北線夜行に乗りに行くことを続けていましたが、やはり年々乗客が減っていくのが手に取るように判りましたので、不定期化された時にはもう先は長くないだろうという気はしていました。 まあ、JRに限らず道内の夜行バスにおいても、かつてのような何台ものバスを連ねるといった光景は滅多に見られなくなってきているようです(例外なのは他に直通交通機関の無い札幌〜根室間のオーロラ号くらいでしょうか)ので、夜行需要そのものが時代の流れとともに減退しているということなのでしょうね。 北海道に限らず、明け方の夜行列車から眺める車窓風景が好きな私にとって、そういった風情を味わうことのできる夜行列車が全国的にどんどん減っていってしまうのは寂しい限りです。 太田 尚(Hisashi Ohta) 札幌市白石区/千葉県船橋市西船発(長期出張中) -- CMN v0.50fβ -- |
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