佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-08 19:26:49 |
2月13日に福山を出発して長野県の野沢温泉へ行きました。「富士」の乗車記が終わりましたので、続いて始めます。頑張って終わらせるつもりですが、忙しくて無理になりましたら途中で休むかもしれません。ご了承下さい。
野沢温泉へ出かける時、シュプール号が走っていた頃は、たいていは利用していましたので経路に悩む事が無かったのですが、廃止後は自分で考えないといけませんので悩むと同時に色々な経路が考えられて楽しみでもあります。 距離と時間を考えますと、夜行を使う方が時間を有効に使えますが、大阪からの場合、選択肢は急行「きたぐに」しかありません。その為に行きは福山−(新幹線)−新大阪−(急行「きたぐに」)−直江津−(信越線)−豊野−(飯山線)−戸狩野沢温泉−(バス)−野沢温泉となります。 帰りですが、これまでは長野から名古屋へ出て新幹線で帰るルートでしたので、今回は変えてみようと思い検討の結果、野沢温泉−(バス)−戸狩野沢温泉−(飯山線)−豊野−(信越線)−直江津−(北陸線)−近江塩津−(湖西線)−山科−(東海道線)−新大阪−(新幹線)−福山に決定しました。 これにした理由ですが、行き帰りに仕事の都合で大阪へ寄る必要がある事、乗車券が往復割引になる事、北陸線はシュプール号を利用して夜間は何度も通っていますが昼間は1回しかない事、北陸線沿線には未乗の路線が多くてどこか1線区を寄り道して乗りつぶす事で決定しました。 乗りつぶす線ですが、当初は高岡−城端間の城端線を予定していましたが、当掲示板でも話題になりました廃止予定区間を含む北陸鉄道石川線に変更しました。 これにより北陸線の部分は直江津−(特急「はくたか8号」)−金沢−西金沢−新西金沢−加賀一の宮−野町−新西金沢−西金沢−金沢−(特急「サンダーバード40号」)−新大阪になりました。 福山駅を「のぞみ」で出発して、まずは新大阪駅まで行きます。長野へ行くならその前に大阪で降りて仕事をする事は可能だろうという事で大阪での仕事が急遽決まったからです。仕事先は天満橋で、今回は新大阪駅から地下鉄御堂筋線に乗って梅田駅で降りて東梅田駅まで歩き谷町線に乗って天満橋駅へ行きました。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2009-03-09 22:00:33 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
大阪でのお仕事をうまく活用されてのスケジュール作成だったようですね。 583系で運転される急行「きたぐに」は、今や風前の灯となった種別でもあり車両でもありますね。いつまで走り続けてくれるか分かりませんが、最後までがんばってほしいと思います。 野沢温泉では、スキーと温泉の両方を楽しまれたのでしょうか。今後の展開を楽しみにしています。 ゆきむら@HACHIOJI City |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-10 22:43:07 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 大阪でのお仕事をうまく活用されてのスケジュール作成だったようですね。 野沢温泉が先に決まっていて大阪が後から決まりました。これにより交通費が少し出ましたので、助かりました。 仕事と組み合わせると交通費の点でメリットがありますので、過去には野沢温泉の後に東京で仕事という事がありましたし、東京で仕事をした後、新潟付近の路線を乗りつぶした事もあります。 > 野沢温泉では、スキーと温泉の両方を楽しまれたのでしょうか。今後の展開を楽しみにしています。 ありがとうございます。その通りなのですが、大阪では仕事の後で3路線を乗りつぶしました。 3つの内2つは予測できると思います。一つは天満橋から予想できる路線で、もう一つは「富士」の中でもふれました完乗にリーチがかかっている路線です。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-11 20:36:00 |
天満橋での仕事が終わりましたが、急行「きたぐに」の乗るまで時間がありますので、疲れない程度に未乗区間を乗る事にしました。
天満橋ですから、最初に選んだのはもちろん開通したばかりの京阪中之島線です。京阪の天満橋駅はこれまでも利用した事があるのですが、中之島線用のホームはかつては天満橋止まりの電車が入るホームでしたからここは利用した事が無く今回が初めてになります。 やって来た中之島行はロングシートの6000系でした。 時間帯からして利用者は少なくガラガラでした。途中の3駅は駅名に橋が付くのは川の街大阪らしいです。京橋から数えますと5駅連続になるのは珍しいと思います。 中之島駅のホームは独特の配置になっていて、他で見た記憶がありません。先端にはシールドのモニュメントがありますが、先へ延長ができそうな感じです。 このまま折り返しても良かったのですが、せっかく来たのだからいったん地上に出てみる事にして、階段を上がると大阪国際会議場が目の前にあり、大阪の中心部という感じでした。雨が降っているので、外は歩かず戻る事にしました。地図を見ますと、東西線や大阪環状線方面へ歩いても遠くないようです。 帰りは、京橋まで行く事にしました。というのも天満橋−中之島間に乗りましたので中之島線に乗ったと言えるのですが、京橋−天満橋間は淀屋橋方面の線路しか乗って無く、中之島方面の線路は乗っていませんでした。こだわる必要は無いのですが、ついでにこの区間も乗っておこうと思いました。 帰りは最新鋭の3000系です。2+1列の転換クロスシートはJRの関空快速を思い出させます。 天満橋を過ぎると外へ出ますが、あたりは暗くなっていました。 京橋からは大阪環状線へ乗り、次の線へ向かいます。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2009-03-12 22:02:12 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
野沢温泉へ向かう前に京阪中之島線に乗られましたか。私も、昨年末の天皇誕生日の休日に慌ただしく日帰りで訪問しました。 橋の付く駅名が続くなあとか、往路はロングシートで復路は2+1列の転換クロス車だったとか、中之島で外へ出てみたものの雨だったのですぐに引き返したとか、佐藤さんも私のときと同じパターンで行動されたのだなと拝見していて思わず笑ってしまいました。 急行「きたぐに」乗車前に、もう二路線乗車されたのですよね。どこへ行かれたのか、引き続き楽しみにしています。 ゆきむら@HACHIOJI City |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-14 22:43:39 |
次の線は、山陽本線で唯一未乗の和田岬支線。
この線は、休日は2往復しかしない為に乗るのは不可能に近く、ずっと未乗で残っていました。もっとも本線部分でずっと未乗だった新山口−門司間は4日前の2月9日に特急「富士」に乗った時にやっと乗りました。 京橋のホームでうどんを食べてから大阪環状線に乗りまずは大阪へ行き、東海道線快速に乗り換えて兵庫駅へ。新快速は兵庫に止まらないし、快速の方が少しでも余裕があると思いましたので。 兵庫駅で降りて和田岬線乗り場へ向かいますが、ホームの前に自動改札機がありました。中間改札と思っていたのですが、この改札を通ると和田岬駅で下車した処理を行います。ホームで待っていたのは19:20発の和田岬行でスカイブルーの103系でした。この時間に和田岬へ行く人は無く車内はガラガラでした。 工業地帯を走る路線ですので、雰囲気は鶴見線と似ているような感じがしました。 和田岬駅に到着し、ついに山陽本線を完乗しました。神戸−小郡(現:新山口)間を昭和40年台に乗っていたのにここまで時間がかかりました。 行き止まりホームの先に駅舎があり行ってみますと、自動改札機が無いのはもちろん券売機もありませんでした。駅前には地下鉄の入り口がありました。 未乗の地下鉄に乗っても良かったのですが、運転の形態からまず乗る事は無さそうですので帰りも乗ろうと思いました。 折り返しの19:34発兵庫行で戻りますが、こちらはそれなりの乗車がありました。この電車は定刻通り発車しましたが、ここでアクシデントが発生しました。 車内放送で、「京都線(東海道線)で人身事故が発生して、ダイヤの乱れが予想されます」と伝えられたからです。京都線ですから影響が出るのは先だろうと思って予定通り次の線へ向かいました。 兵庫から乗るのは19:50発の快速米原行です。外側線を新快速が来ますが減速して、快速が先行しました。神戸駅では特急「はまかぜ6号」が停車中でしたからそれが原因かと思っていたのですが、事態は私が想像していた以上に悪化していきます。 快速が元町に停車している時に「はまかぜ」は追い越していきましたが、三ノ宮で抑止になりました。おそらく後続の新快速は神戸で抑止になったと思われます。 私は三ノ宮で快速を降りましたが、「はまかぜ」はその後1時間以上抑止され、ダイヤの乱れは拡大してゆきます。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2009-03-15 09:25:37 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
和田岬線の営業距離は短いですが、乗りつぶしのハードルは高い路線ですね。 私は非電化のディーゼルカー運転時代に初乗りし、その後の電化直後に乗り直しています。地下鉄海岸線開業時には、和田岬で途中下車し、昼間はまったく列車のやって来ない和田岬線ホームを眺めました。 兵庫駅での和田岬駅用自動改札は、東武伊勢崎線の西新井で大師前駅用自動改札が設置されているのと同じパターンですね。 大阪方面へ戻られる際、アクシデントに見舞われたとか。三ノ宮下車ということは、阪神や阪急に迂回されたのでしょうか。残るもう一つの路線の乗車記、続きを楽しみにしています。 ゆきむら@HACHIOJI City |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-19 00:31:51 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 和田岬線の営業距離は短いですが、乗りつぶしのハードルは高い路線ですね。 遠くからですと難しいです。北近畿タンゴ鉄道へ行く時に利用したJR西日本の正月フリー切符でもできればと思って時刻表を見たのですが、休日は2往復しかしないのはネックで諦めました。今回は平日でしたので本数が多く、夜間ですが行きました。 今回乗車して和田岬駅には明るい時間に行ってみたいと思いましたので、未乗の地下鉄に乗った時に途中で降りてみようと思います。 > 兵庫駅での和田岬駅用自動改札は、東武伊勢崎線の西新井で大師前駅用自動改札が設置されているのと同じパターンですね。 ここだけの特別な方式と思っていましたが、他でも採用されているのですね。線の運転が独立していて、必ず乗り換えになる場合は、この方法は合理的と思います。自動改札や券売機を動かす場合、故障やトラブルを考えますと係員が必要ですから。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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柾岡 淳夫(dtft2462) 2009-03-19 01:10:05 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
>> 兵庫駅での和田岬駅用自動改札は、東武伊勢崎線の西新井で大師前駅用自動改札が設置されているのと同じパターンですね。 > ここだけの特別な方式と思っていましたが、他でも採用されているのですね。 状況は異なりますが、鶴見線の鶴見は似たような状況でしたね。 かつては和田岬にも駅員がいて、日中もきっぷを売っていました。かつては結構な売り上げがあったためにそういう体制をとっていたようですが、あることをきっかけに売り上げが激減し、それで無人化したようですね。 あることというのは、三菱重工の子会社がJRのきっぷを扱うようになったことです。つまり、それまでは三菱重工や三菱電機の出張用のきっぷはここで売ってわけですね。だから列車の来ない日中も駅員を置いていたわけです。 有人駅末期には、1人勤務となって随所に休憩時間の挟まる変則的な営業時間になっていました。 柾岡 淳夫 -- CMN v0.50gβ -- |
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デモノバ(dxea4312) 2009-03-22 09:35:41 |
柾岡 淳夫さん、こんにちは。
>有人駅末期には、1人勤務となって随所に休憩時間の挟まる変則的な営業時間になっていました。 JR四国にも多いですよね。私は2回伊予市駅に常備券18きっぷを買いに行ってますが、2回とも休憩時間に引っかかってます。 ひたちなか市 デモノバ |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-22 21:57:16 |
柾岡 淳夫さん、こんにちは。
>状況は異なりますが、鶴見線の鶴見は似たような状況でしたね。 鶴見線は通勤で使っていましたのでよく知っております。兵庫駅で中間改札と思ったのも鶴見駅を見ていたからです。 和田岬の駅舎を見ていますと、有人駅だった跡がありましたが、列車の来ない昼間でも駅員がいたとは知りませんでした。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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ゆーらいん(mahs4412) 2009-03-15 22:31:36 |
佐藤さん、こん○○は。
山陽本線和田岬支線、通称和田岬線は完乗派にとっては朝夕しか乗れない難関線区ですが、神戸市長田区(和田岬線がある兵庫区の隣の区)に実家がある私にとっては最も身近な国鉄(JR)線でした。 車両がPC・DC・ECいずれの時期にも乗っていますし、PC廃止直前の夏には朝の一番列車の撮影や兵庫駅ホームで夜撮をやったこともあります。そして何よりもこの区間が私の乗り潰しの最初の区間なのです。 10歳か11歳(小学校4年か5年、年代で言えば1981〜82年)の時に、いわゆる“電車でない路線”が近場にあることを知った私は一人でバスに乗って兵庫駅に行きました。そして高架部分とは違う、“駅のはずれ”の様な場所に丸いライトのDD13とそれに繋がれた茶色い64系客車の姿がありました。 そして兵庫−和田岬間を往復したのですが、このときの日付が不明なのに何故か乗車列車の記録だけは残っていて、そのときの旅程が 兵庫 16:57 =(531レ)=17:03 和田岬 17:25=(532レ)=17:31 兵庫 というものでした。 この当時はまだ「乗り潰し」というものは意識しておらず、12歳(小学校6年)の時、1983年9月15日に新神戸→岡山→津山→姫路→神戸の行程で旅行したのが(この時も一人旅)日付がはっきりとしている最初の乗車記録です。そして一つの路線全体を初めて完乗したのがこの時の津山線(岡山−津山)でした。 その後乗り潰しを意識するようになって、和田岬線に乗ったのが「路線そのものが目的での乗車」ということで、これを乗り潰しの最初とすることにしました。この「路線そのものが目的での乗車」というのは私にとっての完乗の基準となっていて、例えば家族旅行や遠足など人生経験上では乗っている路線があったとしても時期や区間の特定が出来ません。そこでそういった路線でも改めて「乗車自体が目的での乗車」を行ないました。このため阪神,阪急,神戸電鉄といった本来近場である路線も、乗車記録は大学進学で千葉在住だった時期(帰省の際に乗り潰しを行なった)となっています。ちなみに大学の鉄研での活動やフォーラムのオフ会といった状況での乗車は、鉄道そのものが目的の旅行と言えるので記録対象としました(そうしないとさすがに費用や時間がもったいないし)。 日本の鉄道完乗を数日後に控え、奇しくも和田岬線の話題が出ていたので、乗り潰しを始めた時の思い出を綴ってみました。ちなみに私の山陽本線の完乗は1990年8月5日、20系で臨時列車として運転された急行雲仙に乗車した際に神戸−門司間の本線部分を通過して達成しました。 ゆーらいん@大阪府枚方市 -- CMN v0.50gβ -- |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-19 00:31:53 |
ゆーらいんさん、こんにちは。
もうすぐ日本の鉄道を完乗されるそうでおめでとうございます。御祝いに駆けつけられませんが、遠くの地から、無事に達成されることをお祈りしています。 私は全く及びませんが地道に行きたいと思っています。 和田岬支線が完乗の原点だったのですね。私の場合どこの線か明確ではありません。資料や記録をあまり残していないからです。記憶の部分だけでは曖昧になってきていますが、区間だけは間違えないようにしています。 和田岬支線には今思うと客車時代に乗っておくべきだったと後悔しました。その頃は和田岬駅は無人駅では無かったでしょうし、兵庫駅のホームも今とは違っていたと思います。 茶色の客車は、昼間に休んでいるところを山陽本線から見た事があります。中央に吊り扉が付いた独特な外観でしたから、一目で和田岬支線用だとわかりました。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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柾岡 淳夫(dtft2462) 2009-03-16 18:43:03 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
> この線は、休日は2往復しかしない為に乗るのは不可能に近く、ずっと未乗で残っていました。 私もその昔はそんな感覚があったのですが、以前の勤務先が比較的近くでしたので、仕事帰りに寄り道して乗りに行ったこともありました。 こんなのも神戸在住だから可能なわけで、さすがに遠方のかたにすれば「難関」の部類でしょうね。 ところで、JR西日本も最近は人身事故があると完全に列車を止めて現場の事故処理をするようになりました。尼崎〜塚本間で起きた人身事故の救護中の救急隊員が事故に巻き込まれるという事件があってからで、人身事故で止まっているという情報があれば運転再開までには少なくとも1時間はかかると思った方がいいかと思いますね。 JR京都線だと、姫路〜米原間は多かれ少なかれ影響を受けますし、その余波がJR宝塚線やJR東西線を介して学研都市線へも…ということもしばしばです。 柾岡 淳夫 -- CMN v0.50gβ -- |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-19 00:31:56 |
柾岡 淳夫さん、こんにちは。
>こんなのも神戸在住だから可能なわけで、さすがに遠方のかたにすれば「難関」の部類でしょうね。 それで思い出したのが、鶴見線の大川支線です。こちらも昔と比べて本数が少なくなり難しくなりました。大川支線はクモハ12に乗る為に首都圏に住む前に行きましたが、扇町、海芝浦を訪れたのは海老名市民になってからです。不便な路線は近くにいないと大変と思いました。 >JR京都線だと、姫路〜米原間は多かれ少なかれ影響を受けますし、その余波がJR宝塚線やJR東西線を介して学研都市線へも…ということもしばしばです。 人身事故が有った場合、時間がかかるのは仕方が無いと思います。以前書きました「富士」の時も1時間遅れでしたし、今回も「はまかぜ」の抑止状況は1時間を超えました。 まだ書いていませんが、影響は「きたぐに」にも及びました。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-19 22:41:02 |
三ノ宮で降りたのは、ポートライナーに乗って神戸空港へ行って完乗する為です。
ポートライナーの開業日は私の誕生日と同じですので、よく覚えています。ただ、年式は私の方がかなり旧式です。 昭和の時代にいったん完乗していたのですが、神戸空港へ延長されましたので未乗区間ができてしまいました。その後、初めて乗ります。 三ノ宮駅20:05発の神戸空港行は開業当時から活躍している車両の8000型でした。置き換えが始まっていて、近いうちに姿を消すそうで、今回乗られて良かったです。雨の中を走りますので、前面の窓には水滴が付き、前はよく見えません。海を渡ってポートアイランドに入ります。中公園駅から先の区間は複線化された時に建設された新線区間になります。市民広場駅を出発すると北埠頭方面の単線と分岐して行きます。 ここより先は、いよいよ未乗の区間になります。確かこの付近はポートライナー開業時は海だったと思います。ポートアイランド南駅を出発しますともう一度海を渡り、いよいよ神戸空港駅へ着きました。 これによりポートライナーを完乗しました。なお、隣の六甲アイランドを走る六甲ライナーは1990年に乗っていますので、2つの線を運行する神戸新交通も完乗した事になります。 せっかく来たのですから空港ターミナルへ行ってみました。海の中になりますので風雨が強く、屋外へ出るのはあきらめました。時間的に、お店も閉店時間でしたので、駅に戻り、20:34発で三ノ宮へ戻る事にしました。今度は新しい2000型でした。帰りは空港からの利用者も多くにぎやかでした。市民広場駅から中公園駅までは従来の軌道を走りますが、以前は逆方向の一方通行でしたから、この方向に乗るのは初めてです。 三ノ宮駅へ戻って来て、まずはJRの駅へ向かい、運転状況を確認する事にしました。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-23 23:29:34 |
JRの三ノ宮駅に戻ると、ダイヤの乱れが拡大して、新快速は運休になっていました。時間的にはまだ余裕がありましたので、次の未乗線区へ行く事は可能でしたが、これからが長い乗車が待っていて疲れてしまうのも良くないので、大阪へ戻る事にしました。
ホームへ上がると、まだ「はまかぜ6号」が停車中でした。1時間以上も停車している事になります。新快速は来ませんので、21:10発の快速で大阪へ向かいますが、途中で停車と徐行を繰り返して、大阪到着は22時頃になりました。新快速が運休になり快速や各停が混雑しているようです。 時間はまだ十分ありましたが、新大阪の待合室で待つ事にしました。 急行「きたぐに」に乗るのは今回が6回目です。最初は12系+10系寝台客車の編成で、まだ青森行でした。その為に利用者が多く自由席に乗車する人は、コンコースで待つ方式でした。2回目は新潟行に短縮されましたが14系客車になっていました。3回目以降は583系電車になり、普通車の座席指定車の設定がありませんので、3回目はグリーン車にしましたが、まだシュプール号が走っていましたので、乗車はわずか3名でした。4回目も同じ理由でグリーン車にしましたが、シュプール号が廃止になっていましたので実質満席でしたし、よく眠れませんでした。5回目は前回の教訓から少しでもよく寝るためにB寝台上段を選択しました。この時のグリーン車は定員の少ないサロ581の100番台車でも空いていましたので、今回はグリーン車を選択しました。6時間程度ですと寝台車はもったいない感じがし、普通車は混雑して座れなかったらと思うと躊躇があります。個人的には、昔シュプール号であった485系のモハユニットを中間に入れて、座席指定車にすればと思いますが、寝台の利用が多い現状では難しそうです。 急行「きたぐに」の新大阪発は23:32ですので、ずっと乗換口待合室で待ち、少し前にホームへ降りて待っていますと、「大阪駅を発車できない」とアナウンスがありました。「新快速に続いて来ます」とアナウンスがあった後には「遅れた電車と接続待ちして来ます」と変更になったり、かなり混乱していたようです。その都度、ホームにある待合室を出入りします。 結局、新大阪には24分遅れで来ました。 6号車のグリーン車に乗りますが、急行券のみでグリーン券を持たないで乗る人が多くて驚きました。一般の人にしてみますとサロ581は特別な車両に見えないのかもしれません。 新大阪を発車した後にも徐行や停車を繰り返して、京都での遅れは40分を越えていました。車内放送で「途中駅の停車時間を短くして回復運転します」とありました。金沢で長時間停車がありますので、その事を指しているとわかりましたので、翌朝は定時に戻っていると思い休みました。 途中で長時間停車している感覚はありませんでしたので、金沢での停車時間で回復したと思います。気がつくと停車駅でない駅に停車していて、そこは青海駅でした。車内放送があり「回復運転で定時に戻りましたが、現在強風で停車中」との事でした。少しして「風が弱まりましたので徐行運転で行きます」とゆっくりと走り糸魚川駅の到着は6時を過ぎましたが、大糸線の始発には間に合う時間でした。 「糸魚川から先も強風ですので待ちます」と車内放送があり、糸魚川を発車したのは6:15頃でしたが、「先行する列車から異常が無いと連絡がありましたので、通常速度で行きます」と放送があり、これ以上大きく遅れない事がわかり安心しました。 直江津到着は6:45分頃でしたが、ここでも停車時間を短縮して、急行「きたぐに」は30分遅れで新潟へ向けて発車しました。 信越線は当初の予定では6:03発でしたが、1本遅れて6:50発の長野行になりました。後の事を考えますとこれに間に合ったのは救いでした。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2009-03-25 23:07:25 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
>ホームへ上がると、まだ「はまかぜ6号」が停車中でした。1時間以上も停車している事になります。 代替交通機関のない駅での抑止ならともかく、並行する電車線の快速が走っている状況だと、さすがに車内に留まっている乗客はいないでしょうねえ。 >急行「きたぐに」に乗るのは今回が6回目です。 私は、今のところ2回です。関東に住んでいると、なかなか乗車する機会に恵まれない列車ではありますね。 >一般の人にしてみますとサロ581は特別な車両に見えないのかもしれません。 自由席車のボックスシートは、今となってみれば時代遅れの感は否めませんからね。それゆえ、「普通の」座席に見えるグリーン車に乗ろうとするのかもです。 発車時の遅れを取り戻した「きたぐに」ですが、今度は強風による遅延ですか。この時期、日本海側ではしばしば遭遇することになりますね。 直江津で信越本線に乗り換えられ、いよいよ目的地の野沢温泉が近づいてきました。どのような旅となるのか、続きを楽しみにしています。 ゆきむら@HACHIOJI City |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-30 21:25:17 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 代替交通機関のない駅での抑止ならともかく、並行する電車線の快速が走っている状況だと、さすがに車内に留まっている乗客はいないでしょうねえ。 「はまかぜ」が抑止されて1時間を越えていましたから、まさか乗客は残っていないだろうと思っていましたら、2人だけ残っていました。どうも2人で飲み続けていたようです。 > 発車時の遅れを取り戻した「きたぐに」ですが、今度は強風による遅延ですか。この時期、日本海側ではしばしば遭遇することになりますね。 天気予報で、強風になる事は予想できました。自然現象ですし、安全が第一ですから仕方が無いと思います。1年前は貨物列車の機関車が故障して2時間遅れになりましたので、2年続けて遅れに遭遇しました。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-30 21:25:19 |
日付は2月14日になっています。
直江津駅からは信越線に乗りますが、6:50発の長野行は115系3両でした。 急行「きたぐに」からの乗り換え客がいたのですが、座席が7割くらい埋まる程度でした。 今年は雪が少なくて、この時期には見た事がない光景でした。スキー客らしい人達は、妙高高原駅で下車していきました。 私は飯山線に乗り換える為に豊野駅で下車しましたが、降りたのは僅かで飯山線方面の利用はほとんどいないようです。豊野駅は去年来た時点で、橋上駅舎が完成して、跨線橋としては使用されていました。新しい駅舎になってからはもちろん初めてになります。時間がありますので途中下車をして、駅前に行ってみますと、去年まであった駅舎は無くなり、広場になっていました。待合室で待つ事にしましたが、駅舎が新しくなった時に売店が無くなったようで、飲料関係の自動販売機のみでした。 飯山線は8:54発の戸狩野沢温泉行に乗ります。「きたぐに」が遅れず予定通りに豊野駅へ来たとしても飯山線はこの列車になります。やって来たのはキハ111と112の2両編成でした。 豊野駅から戸狩野沢温泉駅までは短い時間ですが、寝ていました。 戸狩野沢温泉駅からはバスで野沢温泉へ行きます。今年は暖冬で雪が無く、こんな状態の野沢温泉も初めて見ました。早速スキー場へ行きましたが、天気と雪質が悪く早々と引き上げました。 2月15日は天気が良くてスキーが楽しめました。夕方から雲行きが怪しくなりましたが、結局この日は雨も雪も降りませんでした。夜は無料で入れる事ができる外湯へ入りに行きます。昔は村内に宿泊していないと入ることができない事になっていましたが、公式ホームページを見ますと今は条件が無くなったようです。もちろん観光客だけでなく地元住民の方も入りに来ます。 外湯はたくさんありますが、パンフレットには温泉街の中心部にある「大湯」がよく登場します。外湯はそこだけでなく他にもあります。わかりにくい場所のもありますから探してみて下さい。野沢温泉には何度も行っていますが、未だに制覇できていません。 今回は行きませんでしたが、麻釜(源泉)には漬物屋さん街があり、地元産の野沢菜が売られています。スーパー等で売られている野沢菜は緑色ですが、野沢温泉で漬けた野沢菜は茶色です。これは温泉の湯で野沢菜を洗って漬ける為にこの色になると聞きました。宿では地元の野沢菜が出てきます。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2009-03-31 22:12:56 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
>直江津駅からは信越線に乗りますが、6:50発の長野行は115系3両でした。 セミクロスシートの115系は、今じゃ数少なくなってきた旧国鉄車両の生き残りですね。のんびり揺られる汽車旅にはもってこいですが、あとどれぐらいの間、楽しめるのでしょうか。 >やって来たのはキハ111と112の2両編成でした。 飯山線のこの車両は、秋田新幹線開業前に北上線経由で走っていたリレー特急を転用したものだと聞いていますが、その名残などはあったりするのでしょうか。 戸狩野沢温泉駅には、何度か途中下車したことはあるものの、温泉にもスキーにも無縁のままです。ウインタースポーツは苦手ですが、温泉は大好きですので、一度はゆっくり入浴を楽しみたいですね。 地元の野沢菜が茶色になっているとは知りませんでした。理由を知らなければ、ちょっと不気味に感じるかもですが、実はそれこそが地産地消の証しなのですね。 それにしても、今シーズンは日本有数の豪雪地帯でも記録的な少雪だったようで驚きです。 ゆきむら@HACHIOJI City |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-04-18 20:47:13 |
4月に入り忙しくなり、体調も崩してしまいました。なんとか回復しましたので、続きを始める事ができます。しばらく間隔が開いてしまった事をお詫びします。
日付は2月16日になり、福山へ帰ります。 この日は朝から雪でした。野沢温泉からの帰りは来た経路を逆にたどります。まずはバスに乗り、戸狩野沢温泉駅へ行きます。雪が降っていましたが、道路に積もる状況ではなくスムーズに走り、予定通り戸狩野沢温泉駅に着きました。 戸狩野沢温泉駅からは10:03発の長野行に乗って豊野駅まで行きます。待っているのはキハ111と112の2両です。十日町方面からの列車が到着すると、乗り換えて来る人もいました。遅れることなく定刻通り発車します。 飯山駅付近では北陸新幹線の工事現場が姿を現していました。 豊野駅から信越線に乗りますが、直江津行の普通は「妙高3号」であさま色の189系電車で、既に1番ホームに到着して待っていました。 妙高高原駅に近付きますと雪は吹雪になり視界がどんどん悪くなりました。この雪が3日前に降っていればと思いましたが、こればかりはどうにもできません。 スイッチバックの二本木駅では、雪の中ホームの工事をしていました。貨物が無くなり、スイッチバックである必要性がありませんので、隣の関山駅のように廃止されるかもしれないと思っていましたが、その気配はありませんでした。昔、シュプール号で帰る時は、行き違いでホームに入って待つ事がありましたが、発車する時にバックしますので、知らない人には驚きだったようです。 一度降りてみたくなって、夜に来たことがあります。駅窓口の営業は終了して、駅舎には誰も待っていませんでした。駅前の店がまだ開いていましたので、入ってみると店の人は驚いていました。こんな時間に買い物に来る人はまずいないでしょうから。 雪は降り続いていましたが直江津駅には定刻通りに着きました。 直江津駅ではホームで弁当を売っていましたが、そばを食べる事にしていました。ところがホームには店が無くなっていました。もしかしたら駅舎の中に移動していると思って探したのですが無くて、駅前に行くとありました。発見した時点であと10分しかありませんでしたから、注文して大急ぎで食べてホームへ戻ると、特急「はくたか8号」はすぐにやって来ました。 平日の昼間ですから、座席指定をしませんでした。自由席でも空席が多くて余裕で座る事ができました。この日は基本編成の6両が北越急行の683系8000番台で、付属編成3両はJR西の681系で、私は付属編成側に乗車しました。ちなみに681系には初めて乗車します。 相変わらず雪が降り続き、糸魚川を過ぎると昼間に初めて乗る区間になります。夜はシュプール号で何度も乗っていますが、車窓から見える光景は初めて見ることになります。特に印象に残ったのは北陸線から見える富山地方鉄道の電鉄魚津駅。駅ビルの3階がホームですが、レトロな感じが良く出ていました。いつか訪れてみたくなった駅です。 富山駅、高岡駅は新幹線の工事中でした。高岡駅は、氷見線に乗る為に、急行「越前」に乗って来た事があります。その時は時間の都合で城端線を残してしまいました。今回も見送る事になってしまいましたが、また機会を作って来ましょう。 この付近の北陸線と平行する区間は新幹線の高架がかなりできていました。工事は順調に進んでいるようです。 まだ雪は降っていましたが、予定通り高架になった金沢駅へ到着しました。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2009-04-21 22:37:47 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
北陸新幹線の工事は、各地で着実に進行しているようですね。開業すると、今の在来線は第三セクターになってしまうのでしょうか。飯山線と信越本線の関係を考えると、花輪線と東北本線のようになってしまうのかなと思ったりもします。 二本木駅は貨物の扱いがなくなってしまったのですか。数年前に訪れた際は、構内に多数のタンク車が停泊しており、駅業務はJR貨物が受託していたようですが、広い駅が寂しくなってしまいますね。 直江津駅の立ち食い店は、確か橋上駅舎化された際に移転したように記憶しています。実は、父方の祖先が上越市の出らしく、密かに親しみを持っている地だったりします。 昼行特急が数多く走る北陸路も、新幹線が開業したら雰囲気は一変するのでしょうね。 ゆきむら@HACHIOJI City |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-05-06 00:32:53 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 直江津駅の立ち食い店は、確か橋上駅舎化された際に移転したように記憶しています。 そうだったのですか。以前食べた時はまだ駅舎が橋上化されていなかったはずでしたから。 実は、そばにそこまでこだわる必要はなく、駅弁でも良かったのですが、直江津の駅弁は何度か食べていますので、今回は寒かった事もあってそばにしました。 長野から「シュプール号」で大阪へ帰る時、直江津では時間調整もあって停車時間を取っていましたのでホームまで駅弁を売りに来ていました。晩年は車内販売が無くなっていましたから、よく売れていました。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-05-06 00:32:51 |
野沢温泉からの帰り、北陸鉄道石川線に乗りました。
金沢駅で途中下車して、西金沢駅まで切符を買いましたら、裏が白い切符でした。 ホームに戻ると14:31発の大聖寺行が来ました。この列車は419系電車で、この電車に乗るのは平成になってから初めてになります。こんなに長く活躍するとは思っていませんでしたから、もう乗る事はないと思っていた車両です。 西金沢駅で下車して駅舎を出ると、北陸鉄道の新西金沢駅が見えました。 昼間は駅員がいませんので、切符が買えません。 ホームで待っているとやって来た加賀一の宮行きは、見覚えある電車でした。北陸鉄道の7700系は元京王井の頭線の車両で、京王で走っていた頃にもよく乗った車両です。これから後に行き違うのは元東急の7000系で、これも懐かしかったです。 石川線はワンマン運転でしたから、無人駅では1両目後ろの扉から乗車して前の扉から下車します。2両目の扉は開きません。私は終着まで乗りますので、2両目に行きます。学生の利用がありますが、1両でも運べるくらいでした。 7700系は車両が長いのか、ホームから少しはみ出して踏切にかかったままの状態で停車する事がありました。ワンマン運転ではホームが1両分あれば十分ですから、乗降に支障はありません。 鶴来駅は石川線の車両基地があり、多くの車両が休んでいました。ここは有人駅ですので全ての扉が開きます。 ここから先は廃止予定区間ですが、閑散として終着の加賀一の宮駅で下車したのは2人のみでした。もう1人の人も乗りつぶし目的と思われますので、残念ながら一般の利用者はいない事になります。 駅舎を撮影していたら、もう1人の人は鶴来駅行きのバスに乗って行きました。事前に調べていたようです。 電車は保温の為に扉が閉まっていましたが、乗客がやって来るたびに運転士さんが扉を開閉していました。帰りの乗車は私を含めて2人で、もう1人は一般の人です。 鶴来駅ではまとまって乗車がありました。鶴来駅−加賀一の宮駅間は廃止予定になっていますが、路線の状況や利用者を見ますと存続は難しいのではないかと思います。 帰りは新西金沢駅を過ぎて野町駅まで行きます。金沢側の起点が野町駅と不自然とは思っていたのですが、以前は市内線と接続されていた事を後で知りました。北陸鉄道には他にも廃止路線があってそうで、それらがあった頃に乗っておきたかったです。 野町駅から新西金沢駅に戻り、北陸鉄道の乗りつぶしの今回分は石川線で終わりです。もう一つの浅野川線は時間的に無理でしたので次回にしました。 西金沢駅から金沢駅へ戻りますが、ここの切符は裏が黒でした。 ここから乗る金沢行きは419系で大聖寺始発ですから、さっき西金沢まで乗って来た編成が折り返してきたと思います。番号を控えておけば間違いなかったのですが。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2009-05-06 13:13:51 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
北陸鉄道石川線と言えば、元東急車の牙城というイメージが強かったのですが、元京王井の頭線車両も走っているのですね。 鶴来から先は、私が乗った約10年前も閑散としていましたが、よくぞ今まで残っていたなという実態のようで寂しい限りです。 金沢方のターミナル野町駅の立地は、確かに中途半端な感じがしますね。「日本鉄道旅行地図帳」の廃線地図を見てみたら、野町から中心街の香林坊を経て金沢駅まで市内線が繋がっていたのがよく分かります。 切妻の断面が食パンのように見える419系も、北陸地方では長く活躍していて驚きます。北陸新幹線開業まで、このまま現役で頑張るのかも知れませんね。 ゆきむら@HACHIOJI City |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-05-10 20:42:17 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 北陸鉄道石川線と言えば、元東急車の牙城というイメージが強かったのですが、元京王井の頭線車両も走っているのですね。 旧京王は石川線では1編成のみで、後は旧東急の車両ですから、東急が主力です。先頭車化された車両も居ますし、編成数は少ないですがバラエティーに富んでいると思います。 > 鶴来から先は、私が乗った約10年前も閑散としていましたが、よくぞ今まで残っていたなという実態のようで寂しい限りです。 10年前も閑散としていましたか。この状態が10年も続いたとすればよく頑張ったと思います。廃止反対の動きもあるようですが、現状を見ますと難しそうです。 福山へ帰ってから知ったのですが、この線は大晦日は終夜運転されるそうです。加賀一の宮駅に謎の時刻表があったのですが、納得しました。1年で一番にぎやかになるのでしょうが、予定通りに廃止されますと、今年の大晦日は無い事になります。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-05-10 20:42:20 |
北陸鉄道石川線を乗り、あとは福山を目指します。
金沢駅から乗るのは、特急「サンダーバード40号」です。車両は683系で、「はくたか」の681系に続いてこちらも初めて乗ります。 平日ですから自由席でも大丈夫と思っていましたので指定を取りませんでした。予想通り金沢駅到着時点では十分に空席があり座れました。その後、停車する毎に乗車があり空席が埋まっていきます。途中から「指定席は満席です」という車内放送もありました。 今回楽しみにしていたのは、富山名産「ますのすし」です。正月に敦賀から京都まで「雷鳥」に乗った時に車内販売で買わなかった事を後悔しましたので、今回は必ず買うつもりでした。 車内販売が来るのを待っていましたが、混雑しているせいかいつまで待っても来ません。列車が湖西線に入ってからやっと来ました。販売していたのは「源」のすしでした。お寿司ですから、早く食べないといけないと思ったのですが、押し寿司ですから少しは保つそうです。今回は新大阪までの乗車ですから時間がありますので、早速開けてみました。高かったですが味はもちろん大満足でした。食材はもちろん容器にもこだわりを持っている事がよくわかります。 用事の為に新大阪駅で降りて、用事を済ませて再び新大阪駅へ戻り、新幹線「ひかりレールスター」に乗って福山へ帰りました。 今回は福山から戸狩野沢温泉まで往復乗車券を買いました。営業キロは774.1kmで往復割引が適用されて、運賃は18,900円になりました。ちなみに去年は福山−(新幹線)−新大阪−(急行「きたぐに」)−直江津−(信越線)−豊野−(飯山線)−戸狩野沢温泉で行き、帰りは戸狩野沢温泉−(飯山線)−豊野−(信越線)−長野−(特急「しなの」)−名古屋−(新幹線)−福山のルートでした。この場合、福山-京都市内(経由が新幹線、東海道、湖西、北陸、信越、篠ノ井、中央、新幹線)と京都市内-福山の連続切符と豊野-戸狩野沢温泉の往復になり、合計は18,890円でしたから、運賃では差がありませんでした。 来シーズンも野沢温泉へ行くかどうかわかりませんが、もし行くとすれば、北陸線ルートを使いたいと思います。北陸方面には今回諦めた城端線はもちろんの事、まだ未乗の線区が数多く残っていますので。 乗車記が特急「富士」の後になったとは言え、雪が降る2月の旅行記が、緑の5月まで遅れるのは不本意で申し訳ない気持ちでいっぱいです。これに懲りず、どこかへ行った時はまた報告したいと思います。ありがとうございました。 (終わり) 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50gβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2009-05-16 08:57:19 |
佐藤 邦昭さん、こんにちは。
野沢温泉から北陸路を経由しての帰り旅、おつかれさまでした。 富山と言えば「ますのすし」ですね。私が駅弁として買ったのは一度だけだと思います。もちろん美味しかったのですが、一人であの大きさは少々持て余してしまいました。 北陸本線は、今じゃ数少なくなった在来線特急が頻発する路線です。「サンダーバード」や「雷鳥」「しらさぎ」などの特急に乗っても、また18きっぷシーズンにのんびりと普通列車に乗っても、汽車旅の醍醐味を味わえるので、久しぶりに行きたくなりました。 次回の旅行記も楽しみにしています。 ゆきむら@HACHIOJI City |
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ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2009-05-17 11:42:20 |
佐藤さん、ゆきむらさん、こんにちは。
富山駅弁の「ますのすし」は、 > もちろん美味しかったのですが、一人であの大きさは少々持て余してしまいました。 ですよね。私も同様です。 駅弁だと、源さんのあの大きなものしか売っていないようですが、富山のますのすしはいろいろなメーカーがあり、源さんも実際に製造しているのは一種類だけではないんですよね。例えば、富山駅ビルの2階(だったかな?)に行くと、各種メーカー製のますのすしが、小分けされて売られています。また、ます以外の魚のすしも売っています。ですから、いろいろと好みに応じて購入すると、飽きが来ないで楽しめますよ。 伊藤 博康 |
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柾岡 淳夫(dtft2462) 2009-05-17 22:15:38 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 富山と言えば「ますのすし」ですね。私が駅弁として買ったのは一度だけだと思います。もちろん美味しかったのですが、一人であの大きさは少々持て余してしまいました。 フルバージョンの「ますのすし」は一人だともてあましてしまいますね。でも。源さんではそんな方のために「ますのすし弁当」というバージョンも用意してくださってます。 これは、丸い形ではなく、普通の押し寿司と同じ長方形に仕上がっていまして、丸い容器と同様に両側から押すようになっています。これは1つが概ね1人前で値段も手頃ですので、多すぎて手が出ないという方にはお勧めです。 柾岡 淳夫 -- CMN v0.50gβ -- |
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