pleiades/正村(pmsu2481) 2007-06-10 18:20:14 |
pleiades/正村です
PLEIADESの蒸気機関車写真館、久々に「今月の一枚」以外を更新いたしました。 「いつかどこかで」のPART4:筑豊本線、蒸気同士の平走/追い越し を追加致しました。 筑豊本線の4線区間:折尾−中間でのD60牽引の貨物列車をC55牽引の旅客列車が追い抜いて行くという光景です。 URLはこちらです。 http://pleiades.la.coocan.jp/index.html ご来訪お待ちしています。 |
|
|
|
|
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2007-06-16 22:59:06 |
pleiades/正村さん、
> 「いつかどこかで」のPART4:筑豊本線、蒸気同士の平走/追い越し を拝見しました。 実に珍しい写真ですねぇ。 既にSLブームだった時期で、D60とC55の組合せというのも凄いですね。 筑豊でしか見られない組合せですもんね。 蒸機全盛時代を感じさせるシーンを連写で記録されていたというのも凄いです。 連写ができるということは35mmですよね? あれ? ハーフからブローニーにいったと先日記されていますので、ひょっとしたらハーフなのでしょうか? 最後の写真に見られるD60は、リベットが綺麗に写っていますよねぇ。 化粧煙突やスポーク動輪とともに、古老のイメージがありますよね。 それにしても、九州のカマは美しかったですね。 私は結局、蒸機現役時代に九州には行けずに・・・というか、限られた遠征機会に煙の北海道を選んだので九州には行けなかったわけですが(^^; 今さらながらに一目見ておきたかったと思います。 伊藤 博康 |
|
|
|
|
pleiades/正村(pmsu2481) 2007-06-20 22:31:59 |
伊藤さん こんばんは。
いつも御覧いただきありがとうございます。 >実に珍しい写真ですねぇ。 そうですね、みたのはこれ1回きりでしたから。すれ違いをみたことは何回もありましたが。でもすれ違いは写真にするのは難しいですね。 >既にSLブームだった時期で、D60とC55の組合せというのも凄いですね。 >筑豊でしか見られない組合せですもんね。 これは初めて筑豊に行ったときに撮ったものですが、そのときに撮った蒸気機関車でスポーク動輪で無かったのはD51が1両だけでした。 このときは強行軍で、「西海」で折尾に着いて1日居て「かいもん」で鹿児島まで行きました。そして1番列車で吉松へ行きました。筑豊の翌日もC55三昧でした。結局、筑豊の折尾−中間は3回行きました。 >蒸機全盛時代を感じさせるシーンを連写で記録されていたというのも凄いです。 >連写ができるということは35mmですよね? これはミノルタのオートコードlllで撮っています。6X6でも連写って以外にできるものですよ。やれば秒0.6駒くらいまで行くかもしれません。 余談ですが、若いときは何でもやってしまうもので、富士スピードウェイのGC戦に行って、メインスタンドからブロニカで200km/h近いフェアレデイZの流し取りまでやりました。 >それにしても、九州のカマは美しかったですね。 後年、北海道に行ったときは少しがっかりしました。 >私は結局、蒸機現役時代に九州には行けずに・・というか、限られた遠征機会に煙の北 >海道を選んだので九州には行けなかったわけですが(^^; 今さらながらに一目見ておき >たかったと思います。 私は逆に大学に入った年に2回あった北海道に行く機会を棒に振って、結局1回しか行ってません。 |
|
|
|
|
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2007-06-21 01:27:21 |
pleiades/正村さん、こんにちは。
> でもすれ違いは写真にするのは難しいですね。 ですねぇ。 俯瞰気味であれば対応しやすいですけど、線路際だと構図にしにくいですね。特に、自分がカメラを構えている側の線路を先に通過されると、後追いが手前に来る構図になるので構図をまとめるのがとても難しいですよね。 > そのときに撮った蒸気機関車でスポーク動輪で無かったのはD51が1両だけでした。 う〜ん、なんという贅沢な! そりゃ、北海道のカマではがっかりされるはずですねぇ。 北海道は、カマというより煙を求めていく感じでしたものね。 ところで、この連写は、あの名機と言われるミノルタオートコードですか。 ハーフでこれだけの解像力は出なさそうだし、ハーフの後に35mmを飛ばしてブローニーにいったと先日記されていたので、画像を拝見して疑問だったのです。 > 6X6でも連写って以外にできるものですよ。やれば秒0.6駒くらいまで行くかもしれません。 うひょ(@_@! これは凄い早業ですね。 でもって、当時の価格にすると、フィルム代・現像代等も考えると、私ではとても真似できませんでした・・・ 35mmカメラで1列車1枚厳守という経済状態でしたから(^^; 伊藤 博康 |
|
|
|
|
pleiades/正村(pmsu2481) 2007-06-30 12:51:29 |
伊藤さん こんにちは。
>俯瞰気味であれば対応しやすいですけど、線路際だと構図にしにくいですね。特に、自分 >がカメラを構えている側の線路を先に通過されると、後追いが手前に来る構図になるので >構図をまとめるのがとても難しいですよね。 線路際でうまく構図がとれなかった例を2つばかり。場所はやはり筑豊です。 両方ともD60の貨物のすれ違いでした。線路際ではどうにもならない例です。 >そりゃ、北海道のカマではがっかりされるはずですねぇ。 >北海道は、カマというより煙を求めていく感じでしたものね。 それに北海道に行ったときは団結号や闘争号、檄がかかれた機関車とかたくさんは知る時期に入ってしまって、それが原因で未だに伸ばしてないのも結構あります。 pleiades/正村 |
|
|
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2007-07-02 22:25:57 |
pleiadesさん、
> 線路際でうまく構図がとれなかった例 を見せていただきありがとうございます。 目の前ですれ違われると、たしかになすすべがないですよね。 かといって、事前には誰も予想できませんし。 ただ、こうやってみると、後ろに写っている車掌車が結構貴重だったりしますね。 当時、カマにレンズを向けている方は大勢いても、貨車とか車掌車等にレンズを向けている方はほとんどおいでにならなかったと思います。他人事ではないですが・・・ > それに北海道に行ったときは団結号や闘争号、檄がかかれた機関車とかたくさんは知る時期に入ってしまって、 あれはみっともなかったですねぇ。 自分の職場を代表する仕事場に対して、あの書き殴った文字を良しと思っていたのでしょうが、納得しているのは関係者だけだったのではないでしょうか。 伊藤 博康 |
|
|
|
|
pleiades/正村(pmsu2481) 2007-07-03 22:06:23 |
ひろやす/伊藤さん、こんにちは。
>ただ、こうやってみると、後ろに写っている車掌車が結構貴重だったりしますね。 ワフ21000とワフ22000ですね。前後のネガを改めて見ましたら、筑豊本線にはこの2種の和府が結構多かったりします。それもD60牽引の長大な運炭列車に多いようです。9600牽引の運炭列車では同じセラ編成でも車掌車にはセムフやセフが連結されています。列車種別により車掌者の運用を変えていたんでしょうね。 D60の次位のワフ22000の画像をアップします。 それからネガの見直しで平走を撮影した同じ日に少しはすれ違いに見える蒸気同士のすれ違いのカットがあることに気がつきました。 HPの「いつかどこかで4」に追加アップしました。URLは下記です。 http://pleiades.la.coocan.jp/someday/4/someday4.html#suretigai pleiades/正村 |
|
|
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2007-07-06 00:00:22 |
pleiades/正村さん、こんにちは。
> ワフ21000とワフ22000ですね。 そうです。 当時は特に珍しいことはなかったんですけど、今となってはねぇ・・・ 当時の運用はよく分からないのですが、牽引機がD60か9600で車掌車が異なるというのは、各貨物列車の出発地もしくは経由地の違いではないでしょうか。D50は筑豊本線中心で、9600は筑豊地区の支線区と筑豊本線を結ぶ列車を担当していたとすると、本線系はワフで、支線系はセフ・セムフだったという仮設が成り立ちそうですけど・・・? > HPの「いつかどこかで4」に追加アップしました。URLは下記です。 > http://pleiades.la.coocan.jp/someday/4/someday4.html#suretigai 流石にいいところでシャッターを切られていますね。 後追いの列車は、煙の様子から見てすぐに逆機だと分かりましたが、9600というのは分かりませんでした。一方の向かってくる列車はC55牽引貨物ですか。この角度だとC55と分かりにくいですね。D60かD51かって見えました。ボイラーの大きさがよく分からないためだろうと思いますが。 時代を感じさせるのは、これらの蒸機列車以上に線路端を歩いている人の存在。これ、鉄道関係者ではなく地元の方ではないでしょうか? 今では許されないですけど、当時は地方に行くとわりと平気で線路敷きを地元の方が歩いていたりしましたよね。 伊藤 博康 |
|
|
|
|
pleiades/正村(pmsu2481) 2007-07-07 19:18:33 |
ひろやす/伊藤さん、こんにちは。
pleiades/正村です。 >当時の運用はよく分からないのですが、牽引機がD60か9600で車掌車が異なるというのは、各貨物列車の出発地もしくは経由地の違いではないでしょうか。D50は筑豊本線中心で、9600は筑豊地区の支線区と筑豊本線を結ぶ列車を担当していたとすると、本線系はワフで、支線系はセフ・セムフだったという仮設が成り立ちそうですけど・・・? 撮影したD60牽引の貨物の多くはは直方始発で直方で組成されてたようです。 96牽引の貨物はおっしゃるように船尾発だったりしていました。また、セフやセムフを連結した列車は、直接編成ごとホッパーまで入っていたようですね。 なのでワフやヨではだめだったのでしょうね。後年セフ・セムフ淘汰のためヨ5000が低屋根改造されてヨ5800番台になリましたね。 >時代を感じさせるのは、これらの蒸機列車以上に線路端を歩いている人の存在。これ、鉄道関係者ではなく地元の方ではないでしょうか? 今では許されないですけど、当時は地方に行くとわりと平気で線路敷きを地元の方が歩いていたりしましたよね。 そうですね。餘部でも餘部駅が出来た後も地元の人たちは停車する列車の本数が少ないので、隣の鎧駅からトンネルを抜けて鉄橋を渡り線路を歩いていました。 それ以外でも通学時に線路を歩くいているのは、よくみられましたね。 |
|
|
|
|
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2007-07-08 22:25:30 |
pleiades/正村さん、コメントをありがとうございます。
やはり、D60と9600とでは、牽引列車の系統が違っていたのですね。 ヤマに向かう9600牽引列車が > 直接編成ごとホッパーまで入っていた ために、セフやセムフを連結していたというのは、なるほどたしかにその通りでしょうねぇ。 > それ以外でも通学時に線路を歩くいているのは、よくみられましたね。 ありましたねぇ。 筑豊の何処だったか、蒸機が全廃された後ですけど、通学列車がやってくる時間になったら、四方八方からわらわらと駅ホームに向かってきた学生達には驚かされた覚えがあります。また、廃止された下津井電鉄では、下車した家族連れが脇目もふらずにホームから線路敷きに降りて、当然のように線路端を歩いて自宅に戻っていった様子も印象に残っている光景です。 いま、こんなことしたら大目玉ですよね(^^; 伊藤 博康 |
|
|
|
|