ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2009-08-24 00:32:11 |
ゆきむらさん、こんにちは。
C51の水槽車でよく知られているのは、機関士と機関助士の担当が静岡県内で変わるため、東京発車時には名古屋側担当が、名古屋発車時には東京側担当が客車最前部に待機していて、交替する際に水槽車に取り付けられた手摺りを伝い、さらにC51の炭水車の上を越えてキャプに到達。運転を交替すると、それまで運転していた組が同じ行程で客車に戻るということでしょうか。無停車のためですから、もちろん走行中だったそうです。いまなら、国土交通省から許可が下りませんよね(^^; ところで、 > 今の御殿場線ルートを走っていた頃、下り「燕」は山北で補機を連結していたとか。 と記されていますが、何かのご記憶違いではないでしょうか。 「燕」は、下りが国府津と大垣、上り沼津で補機連結のために30秒停車していたに過ぎなかったと記憶にあります。山北は、「燕」を除く列車の補機連結をしていたんじゃなかったでしたっけ。 > 機関区跡は鉄道公園としてD52が静態保存されていましたが、かつての繁栄はどこへやら。今は4往復運転の特急「あさぎり」も、全列車山北通過です。 保存されているのは、御殿場線で最後まで活躍した70号機ですよね? 桜の季節は有名で賑わうそうですが、その時期には残念ながら行ったことが無くて、それ以外のときは、いたって静かな山間の駅ですよね。 同駅に限らず、沿線をよくみると複線だったときの線路の跡がほうぼうに残っていて、いまでも複線にできる用地が確保されていることが判るのも、かつての東海道本線ですよね。 伊藤 博康 |
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