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No.57 (Re:33) 【JTBパブリッシング】新刊:『栄光の日本の蒸気機関車』発刊にあたって 久保田博
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2007-05-31 16:33:22
続いて、同書の「発刊にあたって」です。
                    鉄道フォーラム・マネジャー 伊藤 博康


                           株式会社JTBパブリッシング

****(2) 発刊にあたって 久保田博****

 明治維新間もない明治5年(1872)に新橋〜横浜間に鉄道が開業して今年で134年になる。その間約100年にわたって、産業文化の発展や国民生活の向上を支えてきたのが蒸気機関車(SL)による鉄道であった。SLは最近の電気やディーゼルを動力とする車両に比べると、出力や性能は劣っていたかも知れない。だが特有の機械美や、重い列車を牽引する力強いドラフト、平坦線での軽快な走りなどに感じられる人間くさい表情を見ていると、SLほど人の心に通う機械はないとさえ思える。
 そのためだろうか、すべてのSLがその使命を終えてからも、内外の鉄道博物館では一番好まれる展示品となり、また一部のSLは復元整備されて全国各地で復活運転を続け、郷愁を呼んでいる。往年の就役時代を知らない若い人たちにも愛好されているのだ。
 父が旧国鉄の機関士であったこともあって、幼いときからSLに接することが多かった私は、戦後間もなく国鉄に採用され、青春時代は鉄道工場でSLの保守業務に専念した。当時の鉄道工場では、創業時からの伝統で取り替え部品をすべて製作していた。戦時中には、輸送力を強化するためのSLの新製もしていた。そのため鉄道工場の業務は、機関車の設計内容とともに広範な生産技術をも必要とされており、青春時代の情熱を燃やすに悔いのない仕事であった。
 勤務した旧鷹取工場(阪神・淡路大震災で姫路近郊に移転、現・網干総合車両所)の受けもちSLは多く、当時在籍していた形式のほぼすべてに関与できたのも幸運であった。またその後の勤務を通じて、大正以降に設計された国産形式の主任設計技師の先輩・上司の方々(若くして亡くなられたC53形式の伊東三枝氏を除く)に設計での苦心談などを直接お聞きすることができた。お聞きした方々も、今はすべてお亡くなりになっておられる。

 本書で扱った形式は、原則として国鉄に在籍したものである。明治40年(1907)の鉄道国有化前の私鉄には、巻末の国鉄制式蒸気機関車総覧でもお分かりのように1形式について1両だけが在籍していることも多く、特記すべき性能があったわけでもないため、すべてを網羅する意義はなく、割愛した。また国有化されなかった私鉄はわずかで、就役していたSLも国鉄に編入されたものと特に異なる形式はないため、国鉄に在籍した形式とほぼ同じであると言えよう。
 形式の並べ方は形式番号順である。就役年数順にするより、国有化時に整理された形式番号順のほうが読みやすく、探しやすいと思われたからだ。昭和になっての新しい形式はB、C、D、E順とした。
 私が直接関与した形式については、思い出を記している。形式の特色などを理解していただければ幸いである。

 昭和以降の主力になった国産SLのほとんどの主任設計技師をされ、後の東海道新幹線の実現を指導された故・島秀雄さんは、産業革命の技術によるSL牽引の鉄道は産業の発展や生活の向上に貢献し、そこで培われた技術の改良と進歩が、現在の近代化鉄道を先導したのだと話しておられたが、まさにそのとおりであると思う。本書が、優れたSLを国産化してきた日本の鉄道の足跡を知るのにお役に立てば幸いである。
 古い写真や、鉄道画家として多くの作品を残された故・黒岩保美氏のペン画や、広田尚敬氏の素晴らしい写真の数々、片野正巳氏のイラスト画を使わせていただくことで、本書をより有意義なものにでき、感謝にたえない。


※以上は、JTBパブリッシング 2007年6月1日初版発行 『栄光の日本の蒸気機関車』3ページ目の、「発刊にあたって 久保田 博」の全文です