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No.931 【映画】『劔岳』に明治村の9号機関車
みかん山/中井(babr3816) 2009-08-06 21:50:47
明日で公開終了となる『劔岳 点の記』をやっと見てきました。
作品中何度か明治時代の富山駅が登場するのですが、「9」の番号を付けた小型のSLが出てきます。最初はどこで撮影したのかわからなかったのですが、エンドクレジットで博物館明治村と出て9号機関車とわかりました。

いくら明治時代とはいえ、天下の北陸本線でタンクSLはないだろ…などと思うのはファンだけでしょうか(^^; また走行シーンの遠景はおなじみ、大井川でした。

9号機関車の運転室から前方を撮影したと思われる走行シーンもあったのですが、北陸本線がナローになってしまっていました(>_<)


 みかん山/中井
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No.933 (Re:931) Re: 【映画】『劔岳』に明治村の9号機関車
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2009-08-07 05:51:52
みかん山/中井さん、こんにちは。

『劔岳 点の記』は、主たる取材を剣岳のある立山町と、犬山市の明治村で行っています。
でもって、立山町と犬山市は以前から姉妹提携していますので、この両市町で公開前から何かと話題になっていました。
私は、明治村の住民登録(要は年間パス)をしていて、地元だけに気軽に出かけていますので、この「劔岳」公開前に明治村内で行われている特別展をみていました。また、たまたま上映前に立山黒部アルペンルートに行っているため、そちらでもメイキングビデオを見ていました。
そんな関係もあり、至って当然のように各シーンを見たのですが、明治村を使用したシーンでは、よくこれだけ作り込むなぁ〜と感心しました。
ただ、残念だったのは、官営鉄道である東海道本線を走っていた12号ではなく、富士身延鉄道で走っていた9号を使用していたことでした。これは、収録が月の前半だったことを表しています。毎月、前半が9号、後半が12号ですから。

ところで、この物語は明治40年が舞台ですよね。
北陸本線が富山まで開通した時期のようです。
ということは、蒸気機関車は輸入期が多かった時代ではないでしょうか。
当時、北陸本線にどのような蒸気機関車が走っていたか、いま出先で資料がないのですが、テンダー機であったかどうかは微妙なところではないでしょうか。
明治も40年頃になると幹線網ができあがってきて、長距離輸送が増えていたので、北陸本線もテンダー機だったと思いますが、タンク機も走っていた可能性はありそうです。明治時代の蒸気機関車で今も動態なのは、明治村のこの2両だけですので、その点で、私は評価しました。むしろ、遠景とはいえ、はっきりと国鉄制式機と判る大井川鉄道の蒸気機関車を使ったシーンの方に違和感を感じました。こだわりすぎですけどねぇ(^^;


> 9号機関車の運転室から前方を撮影したと思われる走行シーンもあったのですが、北陸本線がナローになってしまっていました(>_<)

9号は、先に記したとおり富士身延鉄道・・・いまの身延線で走っていましたし、12号は東海道本線新橋〜横浜間の増備機関車です。ですから、いずれも1067mmの機関車です。キャプ添乗の前方シーンではきついカーブが映っているのでナローっぽいですけど、あれでも1067mmですから、許してやって下さいよ(^^;

伊藤 博康
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No.936 (Re:933) Re2: 【映画】『劔岳』に明治村の9号機関車
みかん山/中井(babr3816) 2009-08-10 22:06:36
ひろやす/伊藤さん、こんにちは。

明治時代の事情には疎いのですが、北陸本線のような幹線級でもタンク機が走っていても不思議ではないのですか。認識を改めました。

>明治時代の蒸気機関車で今も動態なのは、明治村のこの2両だけですので、その点で、私は評価しました。

そうなんですか。やはり時代考証はキッチリされているのですね。

>ですから、いずれも1067mmの機関車です。

おっと失礼しました。明治村の保存鉄道の軌間を一応調べたのですがわからずじまいだったので見た感じで書いてしまいました(^^;
明治村は中学生の頃、名古屋にいた親戚に連れられて一度行ったきりです・・・。


 みかん山/中井
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No.937 (Re:936) Re3: 【映画】『劔岳』に明治村の9号機関車
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2009-08-11 20:57:58
みかん山/中井さん、こんにちは。
北陸本線の富山開通時の資料はないかと探したところ、「鉄道の記憶 富山・十七の鉄道物語」(草卓人著・桂書房刊)という書籍に、いくらかそれっぽい写真が出ていました。

まず、富山まで通じていない明治31年の金沢〜高岡間開通記念列車ですが、タンク機が10両前後の二軸貨車に人を満載し、プッシュプルで走っています。手摺りもない小矢部川橋梁上の写真ですが、機関車上から機関車の前の橋梁上にまで人が立っていますので、どうやら橋梁上に停車させての記念撮影のようです。今ではあり得ない光景ですねぇ(^^;

次に、富山開通直後となる明治41年の写真には、

 『 鉄桁耐力試験ニ供セル大型機関車(40)トン 』

というキャプションがあり、0−C−1の軸配置と思われるタンク機が2両写っています。そのうち1両は1203号機。橋梁の耐力確認用ですので、当時の北陸では最も軸重が思い機関車をもってきたことでしょうから、それでテンダー機でなかった可能性はあります。

同じく明治41年の「水橋停車場」の写真には、駅に進入してくるタンク機が写っています。
また、同じく明治41年に魚津駅で撮影した「富直線鉄道開通式の光景」も、タンク機関車に木造と思われる客車が連結されています。「富直線」は、富山と直江津を結ぶ路線という意味で、今の北陸本線ですね。全通は大正2年ですので、当時は部分開通の状態です。

その後、機関車の写っている写真はほとんどないのですが、テンダー機らしい機関車が写っているのは大正に入ってからのようです。
一方、

 汽車に魅せられて
 http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/index.htm

というサイトの「資料室」→「明治のSL(3)」には、ベイヤー・ピーコック製5500形を明治26年に発注し、翌年輸入したという記述のあとに、5500〜5505号機は北陸本線で活躍したとありますので、当時、既にこの2Bテンダー機が北陸本線の優等列車をけん引していたことは間違いないでしょう。ただ、勾配区間の多い北陸本線の米原〜富山のうち、どこで使われていたかは、この記述からでは残念ながら判りません。

・・・ということで、調べてみたものの、結果として「よくわかりません」でした(__;

伊藤 博康