ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2018-09-28 19:27:47 |
海峡の鉄路 青函連絡船 110年の軌跡と記憶
津軽海峡を舞台に80年間の航海と、その後30年間に渡って展開された船と人々のドラマを、貴重な写真とともに描いた迫真のドキュメント! 英国で誕生し、北海道開拓の命運を担った比羅夫丸と田村丸。 大規模空襲と洞爺丸台風の悲劇を克服し、高度経済成長期には新鋭船が過密ダイヤで往来した。“海峡の鉄路”を青函トンネルに譲っても、船旅の記憶と船員魂はなお生き続ける。 タイトル: 海峡の鉄路 青函連絡船 110年の軌跡と記憶 発 行 日: 2018年9月25日 初版第1刷発行 著 者: 原田伸一 発 行 者: 鶴井 亨 発 行 所: 北海道新聞社 定 価: 本体2000円+税 印 刷: 中西印刷株式会社 ブックデザイン 佐々木正男(佐々木デザイン事務所) 図書符号: ISBN978-4-89453-921-1 C0065 \2000E あとがき より 函館に生まれた私が、初めて青函連絡船を意識したのは、1954年9月26日の洞爺丸事故だったと思う。国鉄官舎に住んでいたので、悲報を聞いて、家も周辺も騒然となったことが、記憶の底に微かに残っている。遭難現場の七重浜は母の実家に近く、よく遊びに行くところだし、有川岸壁も身近だった。 国鉄退職者の祖父は「あの大きな連絡船が沈むわけがない」と声を張り上げた。国鉄在職中の父は資材調達部門だったが、事後処理の応援に出たそうだ。官舎には青函連絡船乗組員の家族も多かった。もっとも私は4歳だったので、後で親などから聞いて、そうと覚え込んだのかもしれない。 何より、洞爺丸ほか4隻が沈没し、1430人が犠牲になった世界有数の海難により、函館と青森は街中が喪に服した。それは戦前の大火や戦争末期の空襲に続く、悲劇の追い打ちだった。以来、「青函連絡船」という存在がずっしりと重みを持って、私の心の中に位置するようになった。 前著『函館・道南鉄道ものがたり』(2016年、北海道新聞社刊)でも、青函連絡船の運航や歴史には紙幅を割いたが、今回、80年の歴史と、その後30年の乗組員の皆さんの人生をたどりながら、あらためて青函連絡船の果たした役割に光を当てたいと思った。 [以下省略] 著者略歴 原田 伸一(はらだ しんいち) 1950年、函館市生まれ。室蘭工業大学開発工学科卒業。73年、北海道新聞社入社。編集局写真部配属後、社会部、東京政経部などで記者。その後、企画・総務部門などを経て2006年、函館支社長。2015年、常務取締役で退任。現在、札幌大谷大学社会学部非常勤講師。北海道鉄道観光資源研究会顧問。1963年から本格的に鉄道、青函連絡船の撮影を始め、学生時代に道内全域のほか九州、中国、中部、東北各地で蒸気機関車(SL)を撮影。これまで「写真で見る北海道の鉄道上・下」、「さよなら江差線」「函館の路面電車100年」、「北海道の赤い電車−さよなら711系」(以上、北海道新聞社刊)、「CD付きD51魅惑の爆走」「同C62巨体の咆哮」(週刊SL鉄道模型Nゲージジオラマ製作マガジン」(以上、講談社刊)、「D52物語」(D52物語制作委員会)などに写真提供。JR北海道車内誌「THE JR Hokkaido」に「線路が紡ぐ物語 鉄道記念物・準鉄道記念物の18史」、「北海道 鉄旅セレクション」を連載した。北海道新聞函館地方版「みなみ風」に「道南とっても“鉄”な旅話」を連載中。著書に「函館・道南鉄道ものがたり」(北海道新聞社刊)。鉄道専門誌にSLに関する記事、写真を随時寄稿している。 |
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