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No.5606 【南軽出版局】助六:木曽森林鉄道うぐい[魚成]川線
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2018-10-04 20:58:59
*伊藤注:以下、「うぐい川」の“うぐい”は、[魚]偏に旁が[成]という字です。

     助六  木曽森林鉄道 うぐい川線

うぐい川めざして より
昭和40年代に入る頃、森林鉄道からトラック輸送への転換が急速に進んだ。昭和45(1970)年に青森県で、翌年に秋田県で最後の路線が運行をやめ、48年に遠山森林鉄道が廃止されると、本州に残っている営林署の路線は木曽の王滝森林鉄道と、その支線だけになった。
[中略]
 しかし、テレビ番組や雑誌でとりあげられるのは、もっぱら長い運材列車が整備された線路を下っていく姿で、伐採現場の様子が伝えられることは稀であった。谷のいちばん奥、線路の尽きるところで、ワイヤーで吊られた丸太が台車に積み込まれ、急カーブで坂を下る光景を見てみたい。阿里山のティンバートレッスルのような大きな橋を見るのは無理としても、木橋を列車が渡るところを撮りたい。そのためには、知られていない支線の奥に行ってみるしかなかったのである。


書  名 : 助六  木曽森林鉄道 うぐい川線
発  行 : 2018年9月30日 第1版発行
定  価 : 2700円(税別)
著  者 : なんかる林鉄班
企画・編集: 片岡俊夫 下島啓亨
撮  影 : 井上一郎 片岡俊夫 桟敷正一朗 下島啓亨 杉行夫 須々木裕太
       高橋滋 角田幸弘 永澤吉晃 福井康文
写真提供 : 中村秀己 古橋三久 西村光 西裕之 新関良樹 竹中泰彦 吉田文哉
解  説 : 片岡俊夫 高橋滋 須々木裕太 桟敷正一朗 下島啓亨
制  作 : 近藤和磨 Classic Story山川良一 永澤吉晃 松本典久
イラスト : 正村修身(機関車)
       片岡俊夫(全線絵図・構内図)
       下島啓亨(木橋)
地図作成 : 西裕之 下島啓亨
表紙・レイアウトデザイン:近藤和磨
資料協力 : 西裕之 中村秀己 王滝村教育委員会 りんてつ倶楽部
       大日本山林会林業文献センター
発  行 : 南軽出版局 http://nankaru.info
印刷・製本: 加藤製版印刷株式会社


おわりに
南軽出版局は、魅力ある軽便鉄道や小鉄道を美しく世に残すべく、埋もれていた画像資料を発掘・編集して、これまで6冊の写真集を出版することができました。今回、けむリプロ主体でなく、次の世代が追いかけた助六の魅力をまとめるにあたり、思いを同じくする多くの方々の名写真を使わせて頂きました。これはうぐい川線と木曽最後の作業軌道の姿を余すところなく伝えるために欠くべからざるものでありました。貴重な写真を提供していただいた以下の方々に対し深甚なる感謝の意を表します。
 中村 秀己 古橋 三久 西村 光 西 裕之 新関 良樹 竹中 泰彦 故・吉田 文哉
故・森下定一さんのコレクションは、写真を管理されている中村秀己さんよりご提供頂きました。また中村さんには、当時の助六での生活と仕事について様々な情報を教えて頂きました。
 古橋三久さんには、ご父君・正三さんとの撮影旅行で撮影された多数の未発表画像をご提供頂きました。
 西裕之さんには、貴重な写真と資料の提供のみならず、多数の史実に関するご教示を頂きました。
 ご協力を頂いたすべてのみなさんに重ねて謝意を表したいと思います。

 下島 啓亨 井上 一郎 杉 行夫 片岡 俊人 桟敷 正一朗 高橋 滋 須々木 裕太 近藤 和磨


目 次

森林鉄道のはじまり   4●

うぐい川めざして    8● あの線路は何だ?

作業線に入る     18● 森から大木橋へ/森の中の集材地/
               ヒノキの出発(たびだち)/五段木橋を渡る/
               ダブルΩを下る

助六の風情      52● 杣人たちの前線基地/木立の中の機関庫/
               奥へ続く廃線を探る

うぐい川を下る    66● 八丁暗がり−断崖絶壁を行く−/仏岩と中ノ沢/
               名勝 樽ヶ沢/坊主岩/
               大型機関車にバトンタッチ/
               ジャンクション・大鹿/

うぐい川の自然と林業 86● 3つの渓相を持つ川/ヒノキ天然林の謎/
               伐倒と集材の話

線路と運行の話    98● 黒淵と小俣線/続行 ヘアピンを行く/
               うぐい川の冬/うぐい川線小史

車輌のこと     110● 酒井5t機を観察する/始業、運転、そして終業/
               運材台車とブレーキ/
               客車の役割/積荷・編成あれこれ/モーターカー

作業線と木橋のこと 127● 作業軌道の生いたち/作業軌道の工法を探る/
               木橋の話

うぐい川線の終焉  140●
ふたたび悠久の森へ 142●
撮影日:
撮影場所:
キャプション:
画像サイズ: 420×562(76%表示)
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No.5607 (Re:5606) 【南軽出版局】助六 あとがき
ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2018-10-04 21:00:58
「あとがき」

人はなぜ森林鉄道に心惹かれるのであろう。深山幽谷に分け入っていく細い線路。森の中を行く小さな運材列車。そして侘び寂びにも通じるその有様。それらはまるで山の神々がくれた宝物のようであった。うぐい川、助六、木曽の山奥に展開された驚くべき鉄道情景は、まさに自然と鉄道が織りなす宝物にほかならなかった。
その宝物に魅せられて、気高さと美しさにカメラを向けた森林鉄道愛好者たちの記録をお届けしようと思う。(桟敷 正一朗)

2017年の阿里山鉄道に続いて、7冊目の写奥集は助六である。初めて木曾森に行ったのは1962年8月、高校3年の時であった。この年、夏の高校野球の主戦投手遠藤凱孝は幼稚園の同級生。神奈川大会を勝ち進み、何と甲子園に出場してしまった。応援に行く前、鉄道研究会の夏の合宿で濁川温泉を訪れたのだ。蒸気機関車のいない鉄道には興味を覚えなかったが、ここの小さなTimber Trestleには目を奪われた。1973年8月、町田の種山ヶ原で、助六の写真を見せられた。驚愕の1枚。これ日本にあるの?1975年10月、多くの方のお世話で遂に助六に立った。(杉 行夫)

高校1年生の時に中央西線にD51の写真を撮りに行き、対岸を走る小さな車両に興味を持ったのが始まりだった。その後、運材列車や旅客列車を撮りに通ったが、ある日、大鹿の主任だった脇田さんから助六の写真を見せられた。C4ばかりを撮っていた私は、この時の衝撃は今でも忘れられない。これがきっかけとなりうぐい川線にのめり込んでしまったのだが結局それが一生の道楽になってしまった。当時の写真が陽の目を見るのは嬉しいことであるが、それ以上に憧れだったけむりプロの方々と一緒に仕事が出来たのが、嬉しかった。(高橋 滋)

高校2年生だった1974年の夏休み、K先輩N先輩から聞いた「大鹿から分岐するうぐい川線の終点」という情報だけを頼りに訪問した助六で見たのは、それからの鉄道趣味の指向を変えてしまう程強烈な山と鉄道の織り成す世界でした。あれから40年以上経って、お世話になった両先輩が助六の本を纏めるお手伝いをするのは人の縁と人生の不思議を感じます。誰でもネットで情報を手軽に入手できる時代になりましたが、若い皆さんは是非冒険旅行に出掛けてみてください。きっと何か得るものが有るはずです。(須々木 裕太)

「写真を撮りに来たので泊めて欲しい」という勝手な願いを受け入れてくれた大鹿の脇田主任・長原副主任をはじめ現場の方々の寛容な対応、濁沢の野中増吉翁との出会いが無ければ、五段木橋のある作業線には行き着けなかったかもしれません。2回目の訪問で成果を残せたのは、その年から羅須地人鉄道協会の活動を共にしていた西村光さんのお力添えによるものです。そして、探索の動機・原点が何処から生まれたかと考えてみれば、おそらくそれは中学2年のときに読んだ、けむりプロ『南部軽便鉄道』不動沢と太郎沼の光景でした。(片岡俊夫)

2018年9月30日 なんかる林鉄班