ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-24 20:12:27 |
皆さん、こんにちは。
JR北海道のホームページ(http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2008/080418-1.pdf)や倶楽部鉄道フォーラム「JR【東日本・北海道】除:首都圏」掲示板での情報に拠りますと、臨時の夜行列車「まりも」は、今夏で運転終了。「はなたび利尻」や「オホーツク81号&82号」も今後は運転しないとのことで、道内完結の夜行列車が消滅することになるようです。 かつては、周遊券で深夜の折返し乗車をして宿代を浮かせるなど、汽車旅好きには縁の深い列車たちでしたが、時代の流れとともに消え行く運命にあるのは少々寂しい気がします。 私が最初に道内完結夜行列車に乗ったのは、函館発札幌行きのディーゼル快速「ミッドナイト」でした。時刻表上は途中駅無停車、全車指定でオールカーペットカーだったと記憶しています。 隣との仕切りがないのはフェリー桟敷席と同じですが、違うのは一列に並んで寝るところ。そういう経験は初めてでしたので、随分戸惑ったことを覚えています。翌朝、雨の中を千歳空港(現南千歳)駅を通過する光景も目に焼き付いています。 皆さんの北海道内夜行列車の想い出には、どのようなものがあるでしょうか。 ゆきむら@TAMA City |
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あつ/山本敦史(zrsx8381) 2008-04-24 23:36:02 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 皆さんの北海道内夜行列車の想い出には、どのようなものがあるでしょうか。 私が学生時代の道内夜行と言えば「利尻」「まりも」「大雪」の三大急行でしたね もちろん周遊券ですので、自由席 「まりも」なんか結構混乱が有りましたよ 北海道独特の列車別の改札で、すでに列車はホームに到着しているにもかかわらず、発車5分前でないと改札を行わない。 当然改札が始まる前から改札口は長蛇の列 改札口を抜けると自由席組は猛ダッシュ だけど、すでに先客で席が占められている 根室や釧網線からの客は改札を出ない限り入線と同時に席取りが出来ます。 この制度を悪用して、別の列車の改札で構内に入り、席取りするグループもいたりして、釧路駅は大混乱 こんな事が毎年繰り返されているのに、システムを変えようとしないのが「国鉄」でした あつ/山本敦史@東海道五十三次なるみ宿の西外れ |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-26 15:25:45 |
あつ/山本敦史さん、こんにちは。
北海道の列車別改札は、基本的に今でも生きていますね。札幌でも、比較的近年まで実施されていたとか。でも、他線からの乗り換え客が結果的に優遇されるのなら、あまり意味ありません。その辺が、国鉄らしいと言えば国鉄らしいですが。 「まりも」と言えば、今のDC特急になってからは、根室へ臨時延長されているときに乗りました。札幌行きの上りで寝台車を確保したのですが、厚床の3番線入線時などは貧弱な線路なのでよく揺れました。釧路到着で大勢のお客が乗ってきた気配は分かったのですが、既にほとんど夢の中でした。翌朝、南千歳辺りを走っているとき目覚めたのですが、北海道って本当に広いなあと実感しました。 ゆきむら@TAMA City |
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あつ/山本敦史(zrsx8381) 2008-04-24 23:36:04 |
ゆきむらさん、こんにちは。
次は、「大雪」の思い出 3月末の旅行でしたが、大雪により美幌で運転打ち切り しかも打ち切りの決定が6時前 この時ばかりは寝台券を購入しておけばタダで寝台で寝れたのにと悔やみました。 あつ/山本敦史@東海道五十三次なるみ宿の西外れ |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-26 15:25:52 |
あつ/山本敦史さん、こんにちは。
「大雪」時代は知らないままでしたが、「オホーツク9号」になってから一度だけお世話になりました。 10年ほど前の大晦日の夜、グリーン車を奮発しました。当時はまだ4列シートでしたが、ガラガラなのでボックスにして4席分を独り占め。明けて元日の朝、車掌さんのアナウンスは新年を祝うでもなく、いつもどおりだったのが印象に残っています。 ゆきむら@TAMA City |
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石田 敏弘(dnmp2980) 2008-04-25 03:46:27 |
こんにちは、石田 敏弘です。
夜行列車の廃止はJR北海道に限らず、JR全社的な傾向なので、今回の発表については驚いていません。ついに来たか・・・という感想をもちつつ、「こりゃ困ったな〜」という個人的な感想も持ちました。というのは私の北海道旅行は、今回の廃止対象になった3列車を中心に予定が組まれているからです。 私は1年に2回、汽車旅目的で渡道しています。北海道内で夜行列車を使うのは、夜に移動することで宿代を節約しつつ早朝から行動すること、が第1の目的であるのは言うまでも有りません。が、何度も乗っていると、北海道の夜行列車が持っている雰囲気と、北海道の景色が大好きになっていました。明け方の急行利尻の車内から宗谷本線北部の景色は、「最果て」を強く感じさせるのです。このお気に入りの景色が眺められなくなるのは、とても残念です。 > 私が最初に道内完結夜行列車に乗ったのは、函館発札幌行きのディーゼル快速「ミッドナイト」でした。時刻表上は途中駅無停車、全車指定でオールカーペットカーだったと記憶しています。 私が乗った時の快速ミッドナイトは、カーペットカーとリクライニングシートのドリームカー。それに繁忙期の自由席車両が連結されていて、なかなか堂々とした編成でした。早めに予定を決めてカーペットカーの指定席を確保していたので、足を延ばして往復とも熟睡しています。津軽海峡は快速海峡とムーンライトえちごを組みあわせた、当時の青春18きっぷ北海道旅行の定番コースでした。 石田 敏弘(VZG05000@nifty.com) |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-26 15:25:58 |
石田 敏弘さん、こんにちは。
臨時列車に格下げとなった時点で、既にこの日が来るのは覚悟していましたが、それでも予想よりは早かったというのが実感でしょうか。 >明け方の急行利尻の車内から宗谷本線北部の景色は、「最果て」を強く感じさせるのです。このお気に入りの景色が眺められなくなるのは、とても残念です。 天気がよいと、利尻富士が拝める徐行区間ですね。私も、何度か経験しました。クマザサに覆われた周囲の光景と合わせ、はるばる北海道の最北端までやって来たと思わせる演出が味わえなくなるのは残念です。 >私が乗った時の快速ミッドナイトは、カーペットカーとリクライニングシートのドリームカー。 後年、「ミッドナイト」のリクライニングシートにも乗車しました。座席にちょっとガタが来ていたのは玉に瑕でしたが、ゆったりと眠れたのを覚えています。 ゆきむら@TAMA City |
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あつ/山本敦史(zrsx8381) 2008-04-26 21:48:54 |
ゆきむらさん、こんにちは。
カーペットカーの始まりは、昭和60年頃に出た、旧型客車の座席を取り払い、カーペット敷きにし車輛を組み込んだ、41列車、46列車ですね どちらも横になれれば座席車より楽ですが、夏休みのシーズン中は横になるどころか足さえ伸ばせない状態だったそうです。 ミッドナイトのカーペットカーも一応指定席扱いで自分の場所は確保されているとは言う物の、現在の「サンライズ」や「はまなす」母袋にしきりが有る訳でもないので、場所取りは早い者勝ちみたいなところがありました 座席車の方は、廃車されたグリーン車のリクライニングシートを大きく倒れるように改造されていましたし。自分のスペースが確実に確保されていましたので、反って繁忙期はこちらの方が楽だったと思います。 ミッドナイトも宿代わりとしとてよく使いました ミッドナイトで函館に到着後、朝市を冷やかして、市営の谷地頭温泉で入浴して、スーパー北斗で札幌に戻る。 函館ではあわただしいですが、南千歳には10時前に着けますので、宿代わりには重宝しました。 谷地頭温泉は6時から営業していますので、朝風呂には丁度良かったです。 あつ/山本敦史@東海道五十三次なるみ宿の西外れ |
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石田 敏弘(dnmp2980) 2008-04-27 04:10:16 |
こんにちは、石田 敏弘です。
>ミッドナイトのカーペットカーも一応指定席扱いで自分の場所は確保されているとは言う物の、現在の「サンライズ」や「はまなす」母袋にしきりが有る訳でもないので、場所取りは早い者勝ちみたいなところがありました 私は図々しいので早めの場所を確保して寝てしまいます。ミッドナイトの時には適当にキャンセルが出ていたので、十分にスペースが確保できて快適でした。大判の時刻表にタオルを巻けば枕に変身、ビールを飲めばもう熟睡体制です(笑)。 そーいえば初めて北海道に行ったときは青函連絡船だったので、もちろん座敷で熟睡。何年か後に急行おいらせで行った時にもカーペット車で熟睡。私にはカーペット車は相性が良いみたいです。 >座席車の方は、廃車されたグリーン車のリクライニングシートを大きく倒れるように改造されていましたし。自分のスペースが確実に確保されていましたので、反って繁忙期はこちらの方が楽だったと思います。 辛うじて残る「はまなす」にも、このリクライニングシートの車両が連結されていますね。小さなラウンジがあるので、寝る前の1杯の場所に重宝します。 石田 敏弘(VZG05000@nifty.com) |
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あつ/山本敦史(zrsx8381) 2008-04-27 09:21:34 |
石田 敏弘さん、こんにちは。
>辛うじて残る「はまなす」にも、このリクライニングシートの車両が連結されていますね。小さなラウンジがあるので、寝る前の1杯の場所に重宝します。 「はまなす」のリクライニングシート車は客車時代の「まりも」からの転用車ですね 「まりも」時代にラウンジだけ利用した事があります。(本来の座席は寝台車) 最初はアベックが何組かいましたが、だんだんと「鉄」が集まって来たら、居心地が悪くなったのか、アベックの姿が消えていました。 あつ/山本敦史@東海道五十三次なるみ宿の西外れ |
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太田 尚(xbye3474) 2008-04-27 10:17:56 |
みなさん、こんにちは。
> 座席車の方は、廃車されたグリーン車のリクライニングシートを大きく倒れるように改造されていましたし。 このドリームカーの座席の出所なんですが、登場当時の鉄道誌の記事などではキハ183系の平屋グリーン車のグレードアップ(2+1列化)による発生品が再用されたと伝えられていた記憶がありますね。もっとも、それだけでは所要数に足りなかったはずなので、JR北海道に引き継がれたものの用途の無いまま廃車となった485系グリーン車の座席も転用されているものと思われます。 登場した当時は評価の高かったドリームカーですが、窓側席に座っていて前の席の客(特に通路側)にリクライニングを目一杯倒された時にはほぼ身動きが取れなくなるという短所もあり、「まりも」で何度か利用した時には通路側を指名買いした事もあります。 現在「はまなす」に連結されているドリームカーも改造から20年が経ち、座面のクッションがヘタっているシートが多くなっているのと、カーペット車が登場したこともあって現在では積極的に選びたい席ではなくなっているのが残念なところです。 太田 尚(Hisashi Ohta) 千葉県船橋市西船発(長期出張中) -- CMN v0.50fβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-28 20:17:57 |
太田 尚さん、こんにちは。
あつさんへのコメントにも書きましたが、10数年前に乗車した「ミッドナイト」のリンクライニングシートは、既に相当ガタが来ていました。確か、割り当てられたのは窓側だったのですが、あまりにも落ち着かないので通路側へ移ったと記憶しています。 それでも、300円の普通列車指定料金を追加するだけで乗車できましたので、ありがたく思ったものです。 「はまなす」のカーペットカーは、一人ずつ仕切りがあって「ミッドナイト」のそれよりは格段に快適ですね。中でも、20番台の2階席は個室風でお値打ち度満点です。一度だけ、見事にゲット成功。安らかな一夜を過ごせました(^^) ゆきむら@TAMA City |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-28 20:17:31 |
あつ/山本敦史さん、こんにちは。
旧型客車を改造したカーペットカーの話は、鉄道誌で読んだような記憶があります。それが発展して「ミッドナイト」になったようですね。 結局、「ミッドナイト」のカーペットカーは、最初の一回だけでした。もう一回は、座席車で利用しています。リクライニングは、少々ガタが来ていましたけど。 谷地頭温泉は、何度も目の前を通っていながら一度も入浴したことがありません。市営ということで、安く浸かれるようですね。今度こそ、一浴びしてみましょう。 ゆきむら@TAMA City |
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あつ/山本敦史(zrsx8381) 2008-04-28 23:39:28 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 谷地頭温泉は、何度も目の前を通っていながら一度も入浴したことがありません。市営ということで、安く浸かれるようですね。今度こそ、一浴びしてみましょう。 ミッドナイトが走っていた頃は、函館の朝市を冷やかして、朝市内のラーメン屋で朝食後、市電に乗って谷地頭温泉で朝風呂と言うのがお決まりのパターンでした。 昔は寂れた施設でしたが、建て直してからは立派な公共温泉に変わりました。畳敷きの休憩室も有りますので、夜行の疲れも取れます あつ/山本敦史@東海道五十三次なるみ宿の西外れ |
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石田 敏弘(dnmp2980) 2008-04-27 04:10:14 |
こんにちは、石田 敏弘です。
> 天気がよいと、利尻富士が拝める徐行区間ですね。私も、何度か経験しました。クマザサに覆われた周囲の光景と合わせ、はるばる北海道の最北端までやって来たと思わせる演出が味わえなくなるのは残念です。 この区間も良いのですね。 冬季の下り利尻の乗ると未明というか未だ深夜の音威子府や天塩中川、幌延といった途中駅の様子も好きです。灯りが全く見えない雪景色の中を走って駅に着くと、粉雪の景色の中を数人の客が降りてゆくのです。モノクロ写真のような雰囲気でしたよ。 6月に乗った時には、早朝の4時には夜が明けますので、沿線にある牧場の牛とご対面(^^)。これも北海道らしくて良いです。 石田 敏弘(VZG05000@nifty.com) |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-28 20:17:47 |
石田 敏弘さん、こんにちは。
未明の道北や道東は、何とも郷愁を誘う光景ですよね。モノクロ写真のような雰囲気と形容される状況には、私も何度か遭遇しています。 そうそう、仰るとおり初夏の北海道は、夜明けがものすごく早いですね。その分、初冬の日の入りもものすごく早くてびっくりしますけど。 ゆきむら@TAMA City |
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YASUのすけ(evpa5184) 2008-04-25 23:34:45 |
ゆきむらさん、こんにちは。
私も学生の頃は毎年周遊券で渡道し、夜行列車を宿代わりにしていたので、全廃と聞くと一抹の寂しさはあります。でも「鉄ちゃん」である私自身もビジネスホテルを多用し、夜行列車に乗らない旅行形態が主流となっているような状況では、いわゆる「一般客」はとうの昔に離れてしまっているのですね。 旭川返しとか、新得返しとか、今考えるととんでもないような乗り方をしていたなあ。当然ながら座席車利用なので、さすがに4泊目くらいになると、昼間意識が遠のきそうになり、ちゃんとした宿泊施設を利用したような・・。 YASUのすけ |
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あつ/山本敦史(zrsx8381) 2008-04-26 09:20:15 |
YASUのすけさん、こんにちは。
>旭川返しとか、新得返しとか、今考えるととんでもないような乗り方をしていたなあ。当然ながら座席車利用なので、さすがに4泊目くらいになると、昼間意識が遠のきそうになり、ちゃんとした宿泊施設を利用したような・・。 さすがに北海道の夜行では、折り返しの経験は無かったですね。 でも名寄本線に乗る為に、遠軽を3:56に降りて、4:23発の列車に乗り換えると言う事はやりましたね。 ありがたかったのは、4:23発の622Dがすでに暖房全開で待機していてくれた事です。 乗り換えたら、発車を待たずまた爆睡でした 私は、連続夜行もさすがに3泊までが限界で、フロとか洗濯とかゆっくり横になって寝たいとかいろいろな理由で、夜行3泊ビジネスホテル1泊のパターンの繰り返しでした。 新婚旅行は北海道でしたが、さすがに新婚旅行で夜行列車という事は考えませんでした。 ただ、北海道入りだけは、トワイライトを使いました。 あつ/山本敦史@東海道五十三次なるみ宿の西外れ |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-26 15:28:03 |
あつ/山本敦史さん、こんにちは。
遠軽で名寄本線に乗り換えられたご経験がおありなのですね。羨ましいなあ。 私が初渡道したときには、既に名寄本線は線路を剥がされた後でした。石北本線の列車は、往時と同じくスイッチバックして発車するのですが、そのまま真っ直ぐ延びていた名寄本線に乗っておきたかったなあと何度も思ったものです。 ゆきむら@TAMA City |
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柾岡 淳夫(dtft2462) 2008-04-27 00:57:48 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 遠軽で名寄本線に乗り換えられたご経験がおありなのですね。羨ましいなあ。 あれ?ゆきむらさんは名寄本線にはご乗車じゃなかったんですね。 私の場合、学生時代に北海道内をワイド周遊券で駆け回っていたわけですが、目的は特定地方交通線の乗りつぶしが主でした。なんとか全て乗ることができたのですが、乗れなかったのが夕張線の紅葉山(現新夕張)〜登川間でした。ここは「チャレンジ20000Km」キャンペーン開始直後に廃止されてしまいましたからね。 で、名寄本線ですが、途中に湧別への枝線、渚滑線、興浜南線と枝分かれしていましたから、それを乗るために紋別で泊まった経験があります。ここは夜行で折り返しという芸当が使いにくかったもので…。 柾岡 淳夫 -- CMN v0.50fβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-28 20:17:40 |
柾岡 淳夫さん、こんにちは。
今でこそ全国を乗り歩いていますが、初渡道は青函トンネル開業後の1990年と遅かったのです。その初渡道で「オホーツク」に乗り、遠軽での方向転換の際、ホームに降りてみました。前年に廃止されたばかりの名寄本線中湧別方面を眺め、ため息をついたものです。国鉄末期の頃は、不規則勤務の関係もあって鉄分冬眠中だったのですよ。 オホーツク海沿いを縦貫する網走〜稚内間は、路線バスで走破しました。中湧別、紋別、雄武、北見枝幸、浜頓別と乗り継いだのですが、各地に廃止線の名残があって、現役のうちに乗っておきたかったなあと悔しい思いをしましたね。 渚滑線の代替バスには乗っていません。名寄本線の名寄−興部間と中湧別−遠軽間も、未走破ですね。今度、バスかレンタカーで走ってみなくちゃです。 ゆきむら@TAMA City |
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YASUのすけ(evpa5184) 2008-04-29 17:02:21 |
あつ/山本敦史さん、こんにちは。
>でも名寄本線に乗る為に、遠軽を3:56に降りて、4:23発の列車に乗り換えると言う事はやりましたね。 懐かしい話です。私の時は、大雪5号が遠軽に4:08に着き、4:28発の622Dに乗り換えています。1回目は興部経由で興浜南線を雄武へ、2回目は湧網線経由で網走へ行っています。2回目の時眠っている間に中湧別−湧別間を折り返してしまったので、3回目のトライをしたのですが、この時は寝過ごして遠軽で下車できず、生田原まで乗り過ごしてしまいました。生田原でたまたま中湧別に行く方の車に乗せてもらい、やっと湧別に行くことができました。 未明の乗換としては他に、3:16着の帯広(まりも3号)、4:55着の小沢(41列車)があります。今考えると、とんでもないことをしたような。 >私は、連続夜行もさすがに3泊までが限界 4泊したのは行きに八甲田を利用した時で、青函連絡船内でゆっくり眠れたので、挑戦してみました。もうしたくないです。 YASUのすけ -- CMN v0.50fβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-30 22:12:16 |
YASUのすけさん、こんにちは。
>未明の乗換としては他に、3:16着の帯広(まりも3号)、4:55着の小沢(41列車)があります。今考えると、とんでもないことをしたような。 帯広乗り換えは、士幌線と広尾線ですね。士幌線は、終点の十勝三股まで鉄路で行かれました? 私は、どちらも未乗のまま終わってしまいました。広尾線代替バスには、一度乗りましたけど。今は、帯広駅も高架化されて、かつてのような分岐ターミナル駅の雰囲気はすっかり様変わりしちゃいましたね。 小沢乗り換えは、岩内線ですか。短いローカル線でしたが、味わい深かったのでしょうね。小沢には途中下車しましたし、倶知安からの代替バスで岩内も訪問してみました。岩内駅の跡地には、簡単な記念碑があるだけで往時の様子を想像することはできませんでした。その後、岩内からバスで積丹半島を一周しましたっけ。 5:00前後と言えば、「ムーンライトえちご」の新潟着と「ムーンライトながら」の東京着が、今でもそれぐらいの時刻ですね。終点なので、寝過ごす心配はないですけど。 ゆきむら@TAMA City |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-26 15:27:53 |
YASUのすけさん、こんにちは。
客車時代の「まりも」に乗ったときのこと。札幌を同時発車の「オホーツク9号」のテールランプが、あっと言う間に遠ざかって行きました。加速度の違いは如何ともしがたいところですね。 このときの「オホーツク9号」には、竹島編集長をはじめとする鉄道ジャーナル誌の取材陣が乗っていたと後で知りました。雑誌の記事には、「『まりも』を置き去りにして・・・」のような表現があり、なるほどなあと思ったものです。 >旭川返しとか、新得返しとか、今考えるととんでもないような乗り方をしていたなあ。 自分自身は、そこまでの経験はないですねえ(^^) でも、夜行列車三連泊なんてのは幾度かあります。やっぱり、風呂や着替えに困りますので、四日目はビジネスホテルに泊まってましたね。今だったら、携帯電話の充電やPCメールのチェックなどがありますから、夜行列車二連泊でも難しいでしょう。 ゆきむら@TAMA City |
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太田 尚(xbye3474) 2008-04-27 12:44:30 |
みなさん、こんにちは。
私は父親の仕事の関係で小学生の頃は函館、中学生の頃は釧路に住んでいましたので、夏休みには札幌の親戚のところへ家族で遊びに行くのが通例になっていました。 往きだけ国鉄を利用し、帰りは父親の運転する車でというパターンだったのですが、その中で一度だけ、1981年8月の豪雨で昼間の特急がすべて運休になり、運転再開の一番列車となった臨時急行の「すずらん61号」(函館→札幌)に乗車したのが道内夜行との付き合いの始まりですね。 #ちなみにこの時が14系客車の初乗車で、キハ183系より先の初乗車になりました。 その後、釧路に引っ越してからは私だけ先に夜行で札幌へ出発するパターンになったので、その流れで旧客時代の「まりも」グリーン車にも乗車しています。 国鉄末期に「北海道フリーきっぷ」が発売開始されたのを機に道内乗りつぶしに精を出すようになり、その時にも夜行には何度となくお世話になりました。当時まだ高校生だった私にはホテルに泊まれる金など有るわけも無く、乗り継ぎスケジュールの関係で「新得返し」「上川返し」「士別返し」も何回か決行しました。 名寄本線(遠軽)や天北線(音威子府)などでは夜行列車に接続する始発列車が朝4時台に設定されていましたので、これも乗りつぶしの際には重宝しましたね。道内乗りつぶしを始めた時に最初に乗車したのが「利尻」で、音威子府で天北線の始発に乗り継いだのも懐かしい思い出です。 就職2年目の初夏に、気分転換を兼ねてふらりと「大雪」に乗車して、明け方の車内から眺める朝靄に煙った風景が気に入ってしまい、その後夜行「オホーツク」が不定期化されるまでの15年間、毎年夏至の頃に札幌発の石北線夜行に乗りに行くことを続けていましたが、やはり年々乗客が減っていくのが手に取るように判りましたので、不定期化された時にはもう先は長くないだろうという気はしていました。 まあ、JRに限らず道内の夜行バスにおいても、かつてのような何台ものバスを連ねるといった光景は滅多に見られなくなってきているようです(例外なのは他に直通交通機関の無い札幌〜根室間のオーロラ号くらいでしょうか)ので、夜行需要そのものが時代の流れとともに減退しているということなのでしょうね。 北海道に限らず、明け方の夜行列車から眺める車窓風景が好きな私にとって、そういった風情を味わうことのできる夜行列車が全国的にどんどん減っていってしまうのは寂しい限りです。 太田 尚(Hisashi Ohta) 札幌市白石区/千葉県船橋市西船発(長期出張中) -- CMN v0.50fβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-04-28 20:18:36 |
太田 尚さん、こんにちは。
北海道各地にお住まいだったということで、いろんなパターンに乗っておられますね。函館発の「すずらん」とか旧客「まりも」のグリーン車なんて、既に私の時刻表上の記憶からは消えております(^_^; 音威子府での「利尻」から天北線始発への乗り換えは、雑誌などで読んだことはありましたが、名寄本線同様、初渡道したときには既に線路自体がなくなっていました。 さすがに、唯一残った宗谷本線や網走への石北本線が廃止されることはなかろうと思っていますが、夜行「オホーツク」や「利尻」に乗って夜明けの大地を眺めることはもうできないのですよね。道内に限らず、夜行列車自体が少なくなっていくのも時代の流れとは言え、寂しいものと思うのはまったく同感です。 ゆきむら@TAMA City |
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