ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2008-02-15 23:08:02 |
新進の出版社「クラッセ」から、松尾定行著「駅前旅館をいとおしむ」の発刊案内を鉄道フォーラム宛にいただきました。当掲示板向きの話題かと思いますので、「NEWS RELEASE:全般」「メディアプラザ」とともに当掲示板でもご紹介いたします。
鉄道フォーラム・マネジャー 伊藤 博康 KLASSE EDITORIAL/PLANNIC/PUBLSHING 小社(株)クラッセは、主に交通図書を編集・発行しております出版社でございます。このたび、きしゃ旅ライタ一として活躍されております、松尾定行さんが書き下ろした『駅前旅館をいとおしむ』を刊行いたしました。 戦前から高度成長期まで、駅前には必ずあった駅前旅館が姿を消そうとしています。鉄道紀行作家である著者は、駅前旅館にも造詣が深く、旅人を支え時代を担ってきた駅前旅館の最後の姿を愛情深い気持ちで取材しました。駅前旅館につきましては、井伏鱒二の『駅前旅館』以外に類書がとても少ないのが現状です。著者の渾身のルポによる最後の駅前旅館の情景を描写するとともに、駅前旅館に泊るという旅の姿を体験できない世代の方々へ向けて、貴重な紀行作品であるとともに、表紙には取材で泊った領収書を印刷するなど、後世に残る資料になると確信しております。 〈著者あとがきから〉 昭和三十年代は、長い日本の歴史のなかで、民衆にとっていちばん幸せだった時代といえるのではないでしょうか。二十年におよぶ戦争の時代が終わり、復興を遂げ、戦後民主主義の理念のもと、平和で豊かな暮らしを日本人は謳歌しました。鉄道は、その昭和三十年代の国内旅行を、華やかに彩ってくれました。その後、高度経済成長をバックに日本列島に改造の槌音が響きわたり、さらには電脳社会が訪れて久しいのですが、こと鉄道の沿線に限っては、駅前旅館に代表される昭和の情景≠温存するゾーンが、まだ、あちこちに残っています。これらの全部に、一○年後に電話をかけて、はたして何軒が宿泊の申込みを受けてくれるのか……。一○軒に満たないのではないでしょうか。 日本の文化ともいえる駅前旅館の現状と今後を伝える書として、ぜひともご高覧いただきたく、書評をもってご案内いただけましたら幸甚の極みです。何卒よろしくお願い申し上げます。 クラッセブックス【最新刊のご案内】 “昭和の情景”を残す駅前旅館 「駅前旅館をいとおしむ」 −昭和の面影が残る旅の宿− 松尾定行 著 ●四 六 版 216ページ ●定 価 1680円(本体1600円+税) ●図書符号 ISBN 978-4-902841-02-2 C0026 \1600E ご注文は 地方・小出版流通センターへ FAX 03−3235−6182 http://www.bekkoame.ne.jp/~much/access/actop.html 第一章 日本最後の駅前旅館に泊った 村山旅館(北海道 上磯駅) 花岡旅館支店(秋田県 大館駅) 旭屋旅館(神奈川県 山北駅) だるま屋旅館(石川県 津幡駅) 庄司旅館(福井県 大鳥羽駅) 柏原旅館(大阪府 柏原駅) 中村屋(兵庫県 竜野駅) 旅館松の下(香川県 坂出駅) 網野旅館(広島県 忠海駅) いくよ旅館(福岡県 鹿児島線) 第二章 駅前旅館に泊るローカル線の旅 会津鉄道 線路際にたつ源泉かけ流しの温泉旅館でくつろぐ 飯田線「中部日本縦貫鉄道」と共に歩んだ駅前旅館の今 木次線 農家が営む一軒の冷泉民宿を“トロッコ列車”でたずねる 第三章 駅前旅館 全国現況リスト 北海道から九州まで43旅館をレポート。 あとがきには、「きしゃ旅ライター」である著者の駅前旅館に対する愛情が込められている。 かつては“商人の宿”とも呼ばれていた駅前旅館は、戦後の復興を遂げた昭和30年代鉄道の旅とともに手軽な“旅人のお宿”として機能していた。代々受け継がれてきた家業は、ビジネスホテルの隆盛、駅前再開発、後継者不足などにより、消えてなくなろうとしている。「きしゃ旅ライター」が和の情緒をたたえた駅前旅館に泊まる鉄道の旅を続けながら、家族でもてなしてくれる心温まる一夜、心と心のふれあう“温かさ”を求め、最後の駅前旅館の姿をまとめた渾身のルポを収録。 |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-02-16 21:34:01 |
ひろやす/伊藤さん、皆さん、こんにちは。
今は、ほとんどが駅前のビジネスホテルに宿泊するパターンですね。振り返ってみると、駅前旅館と言える宿泊施設に泊まったのは、わずか2回です。 1回目は、北海道釧網本線斜里(現知床斜里)駅前の「旅館たなかや」。翌朝からレンタカーで知床半島をドライブするために宿を取りました。まだインターネットが普及していない時代だったので、JTB時刻表巻末の黄色ページで探し、電話予約したと記憶しています。 2回目は、同じく北海道石北本線上川駅前の「池乃屋旅館」です。上川−白滝間の各駅停車が一日一往復しかなく、早朝の上川始発下りに乗るため宿泊しました。このときは時刻表巻末にも掲載がなく、上川駅に電話して近くの旅館を聞き出したのでした。 前者が1990年、後者が1994年ということで、既にかなりの年数が経っています。今も駅前で元気に営業しているのでしょうか。 ゆきむら@TAMA City |
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ひろやす/伊藤(vnnc8158) 2008-02-17 01:12:09 |
ほぉ、ゆきむらさんは駅前旅館に泊まった経験がおありですか。
実は、わたし、真っ当な駅前旅館って泊まったことがないんですよ(^^; 若い頃はユースホステルと夜行座席ばかり利用して、社会人になってからはビジネスホテルばかりですから・・・ 「駅前旅館」という言葉には惹かれますけど、ネット接続などを考えていたら泊まり損ねたといった感じでしょうか。 他の方々はいかがでしょうか? 伊藤 博康 |
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柾岡 淳夫(dtft2462) 2008-02-17 22:00:33 |
ゆきむらさん、、ひろやす/伊藤さん、みなさん、こんにちは。
私も最近はビジネスホテル一辺倒で、「駅前」はおろか日本旅館自体あまり使っていないのが現状です。というのも、アトピー性皮膚炎を持っていて浴場が共同となると躊躇:してしまうんですね。 とはいえ、今までにまったく使っていないのかといわれると否です。記録をとっていないので記憶ベースになってしまうのですが、大分県の日豊線宇佐駅前の旅館に宿泊しています。このときは同行した友人が手配したのですけれど、その彼が日本旅館党でこういった宿が好きだった関係で、泊まることになったわけです。 駅前ではなかったものの、福井駅前の「藤富旅館」の別館に5日ほど滞在した経験もありました。このときは学生時代で、当時の「京福電鉄」研究のために、鉄研の仲間と泊り込んだのでした。素泊まり1,800円、2食付1泊3,000円という値段は当時でも格安でしたから、貧乏学生の長逗留には心強い味方でしたね。 神戸駅前には「大森旅館」という伝統の駅前旅館がありましたが、なくなってもう何年になりますか。私が通勤で神戸駅を使うようになったころにはもうありませんでしたから。 柾岡 淳夫 -- CMN v0.50fβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-02-18 21:29:51 |
柾岡 淳夫さん、こんにちは。
>福井駅前の「藤富旅館」の別館に5日ほど滞在した経験もありました。 同じ旅館に5連泊して京福電鉄の研究をされたのですね。今よりも路線網が広かった時代でしょうか。 工事関係者の方々などは、同じ旅館に連泊されることも多いのでしょうけど、学生さんでは珍しいでしょうね。旅館の方と顔馴染みになって、色々とサービスもあったのかな。 ゆきむら@TAMA City |
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井筒 秀明(mawc9572) 2008-02-18 22:01:06 |
柾岡 淳夫さん、こんにちは。
>神戸駅前には「大森旅館」という伝統の駅前旅館がありましたが、なくなってもう何年になりますか。私が通勤で神戸駅を使うようになったころにはもうありませんでしたから。 神戸で最初に勤務した昭和の末期にはまだ健在でしたね。 神戸駅から朝早く出発するときにいわゆる「前泊」で何度もお世話になりました。 大浴場からライトアップ(というほどこ洒落たものではありませんでしたが)された神戸駅を眺めると思わず昭和の前半にタイムスリップしたような感覚になったものです。 あとは三ノ宮駅前にあった「セントラルホテル」というビジネスホテルにも良くお世話になりましたが、こちらは震災を期に廃業されてしまいました。今は1階にトドールコーヒーが入っています。 井筒 秀明 -- CMN v0.50fβ -- |
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瀬端 浩之(nwry2218) 2008-02-18 12:22:43 |
ゆきむらさん、みなさん、こんにちは。
駅前旅館、懐かしい響きですね。最近でこそすっかりご無沙汰ですが、学生時代には時折お世話になっています。「商人宿」なんて言い方もされていたと思いますが、要するに駅から近いところにある小さな旅館ですね。 初めてがいつ・どこだったか思い出せないのですが、相生や後藤寺などで泊まりました。大きな街だと尾道かな。桜井や桐生、可部などでも泊まっています。 学生時代だから当然高い旅館には泊まれないのですが、それ以上に立地の関係が大きかったですね。 ゆきむらさんと同じように、列車の乗り継ぎの関係で泊まったのがほとんど。後藤寺は最終で着いて朝一で出発しましたから、たぶん5〜6時間しか滞在していなかったはず・・・。 当時は予約なんかしないで当日 「きょう、一人ですが部屋ありますか。」 と飛び込みばかりでした。そのため可部では駅近くが軒並み満室、30分以上歩いたところに泊まることとなりました。比較的時間が早かったからいいようなものの、最終だったら目も当てられない・・・(^_^;。 料金はだいたい素泊まり3,000円くらいでしたから、食事を考えるとユースより高いけれど、自由度は全く違いますし、都合よく駅前にユースがないので、どうしても駅前旅館利用が多くなりました。(えりもでユースに愛想をつかしてしまったせいもあるんですが(^_^;・・・。) 木造の風情ある建物も多かったのですが、時代とともに消えていくものの一つなんでしょうね。 gca01272@nifty.com 瀬端 浩之 |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-02-18 21:29:55 |
瀬端 浩之さん、こんにちは。
瀬端さんも柾岡さん同様、学生時代のご経験なのですね。 ビジネスホテルだと、飛び込み客は空室があっても断られるなんて話しを聞きますけど、駅前旅館だとどうだったのでしょう。 駅前旅館だけではなく、ユースホステルも活用されたのですね。私はあいにく、一度も利用したことがありません。 愛想を尽かされたとのことなので、何かトラブルがあったのかと思いますが、そういったことも含めて旅の想い出は色々と尽きないですね。 ゆきむら@TAMA City |
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瀬端 浩之(nwry2218) 2008-02-18 23:18:46 |
ゆきむらさん、みなさん、こんばんは。
> ビジネスホテルだと、飛び込み客は空室があっても断られるなんて話しを聞きますけど、駅前旅館だとどうだったのでしょう。 予約している人もいたでしょうけれど、予約なしで飛び込みの人も多かったと思います。宿にもよるのでしょうけれど、地方の中堅都市に泊まったときなどは、常連の方が多いようで、予約なしでも気楽に泊まっている感じでした。まあ、まず満室になることがなかったのでしょうね。 雰囲気的には1泊というより、数日間滞在してまた他の街へ、という感じでしょうか。富山の薬売りのような方がよく利用されていたのかも。 > 駅前旅館だけではなく、ユースホステルも活用されたのですね。私はあいにく、一度も利用したことがありません。 活用と言うほど泊まった経験はないです(^_^;。中学・高校時代を中心に、それでも10泊までは利用していないでしょう。駅から遠いとどうしても利用しづらいですし・・・。 > 愛想を尽かされたとのことなので、何かトラブルがあったのかと思いますが、そういったことも含めて旅の想い出は色々と尽きないですね。 まあ、トラブルというより、ミーティングの脱線ぶりに付いていけなかったというところでしょうか。もちろん快適なユースもありましたから、全てを否定するつもりはありませんし、また全くミーティングのないというのも「らしくない」ので、バランスの問題でしょう。 私の場合、お酒を飲みだした頃と重なったことや、写真を撮るようになると早朝のカットを狙うためにユースだと利用しづらいということもありましたし・・・。(もっとも、お酒を飲んでミーティングをやったらとんでもないことになりそうな気がする(^_^;。) gca01272@nifty.com 瀬端 浩之 |
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▲ 飛遊人(xyvp7167) 2008-02-18 20:04:07 |
ゆきむらさん、こんにちは。
駅前旅館はほとんど利用しませんが、過去2度ほど利用しました。いずれも昭和の北海道ですね。 1回は、、、昭和62年の3月、名寄駅近くの旅館です。 深川から羽幌線経由で稚内宿泊予定だったのですが、大雪のため、羽幌で引き返し、宗谷線を北上するも名寄止めという状況で、駅で紹介してもらった宿へ停まりました。翌日は名寄線・湧網線で浜佐呂間へ向かいました。 もう一つは、、昭和60年代のいつだったか??宿泊先も決めずに移動中の車内で時刻表とにらめっこ、深名線に乗ろうと思って、時刻表に載っていた深川のホテルに電話した所、駅から遠いことが判り、そのホテルの方に教えてもらった駅前の旅館に電話して宿泊しました。素泊まり3千円くらいだったかと記憶しています。 今ならケータイで予約するんだろうけど、昭和の御代ですので、列車公衆電話を利用しました。駅前旅館といい、列車公衆電話といい、、自分の中では過去帳入りしたものですね。 |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-02-18 21:29:59 |
▲ 飛遊人さん、こんにちは。
私と同じく北海道でのご利用だったのですね。昭和の時代ということで、少し時代は前のようですが。 羽幌線、深名線、名寄線、湧網線と、今は鬼籍に入ってしまった線名がたくさん登場するのも、昭和晩年の北海道を如実に表していますね。 >今ならケータイで予約するんだろうけど、昭和の御代ですので、列車公衆電話を利用しました。 新幹線以外の在来線にも、公衆電話があったのですね。特急電車で時々見かけたような気がしますけど、実際に使ったことはないです。 ゆきむら@TAMA City |
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デモノバ(dxea4312) 2008-03-13 08:31:24 |
ゆきむらさん、こんにちは。
> 新幹線以外の在来線にも、公衆電話があったのですね。特急電車で時々見かけたような気がしますけど、実際に使ったことはないです。 変わったとことではJR東海の311系にありましたね。利用が少なくなったのか、携帯電話の通話を禁止する手前か、いつのまにかなくなってしまいしましたが。 |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-03-13 20:20:58 |
デモノバさん、こんにちは。
>変わったとことではJR東海の311系にありましたね。 これは、覚えています。あの立地だと、回りのお客さんに通話は丸聞こえでしょうね。携帯電話の通話をご遠慮くださいと言ってる手前、矛盾するので撤去せざるを得なくなったのかな。利用しづらい環境だったのも事実ですが・・・。 ゆきむら@TAMA City |
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井筒 秀明(mawc9572) 2008-02-18 22:01:02 |
ゆきむらさん、皆さん、こんにちは。
私が泊ったなかで一番印象に残っているのは直江津駅前の「いかや旅館」です。 今では「ホテルセンチュリーイカヤ」というハイカラなホテルに変わっていますが、洋館風の建物が妙に魅力的でした。 直江津はここと「ホテルハイマート」が駅弁業者としてもがんばってますね。 井筒 秀明 -- CMN v0.50fβ -- |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-02-19 21:30:32 |
井筒 秀明さん、こんにちは。
直江津は、駅前通りに今も古い旅館が何軒かあったかと思いますが、駅弁で有名な「ホテルセンチュリーイカヤ」も、以前は同じような駅前旅館だったのですね。 直江津は父方の故郷(のはず)ですので、個人的に親しみのある町です。それと、JR東西日本の境界でもありますね。 ゆきむら@TAMA City |
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一條 力(ufep2040) 2008-03-21 21:28:58 |
こんにちは。
時期は明確ではありませんが、1985年から87年の間のどこか1回、小諸駅改札をでて東に行ったところの旅館(時刻表の案内で予約。名前は記憶にありませんが、今も残っているのではないかと思います。)に一度とまりました。、 この日は、上野から特急あさまで小諸に到着、同駅近くのお客さんを訪問し、旅館泊。次の日は茅野のお客さんへ行くというものでした。 このあさま乗車が私にとって最後の在来線碓氷峠越えとなりました。 旅館はホームのすぐ横にあり、窓の防音もそれほどしっかりしていなかたので、当時夜行として運転された「能登」「妙高」の往復、計4回の出発ベルで起こされ、全然眠れませんでした。最近は小諸駅前も寂しくなったようですが、夜行列車が停車していたなど、今となってはいい思い出と感じるとともに、時の流れと新幹線開通の影響の大きさを感じます。 |
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ゆきむら(cxsw5719) 2008-03-22 22:20:38 |
一條 力さん、こんにちは。
小諸の駅前旅館に宿泊されたのは、今から20年ちょっと前のことですね。 仰るように特急「あさま」が停車していた頃と比べると、長距離列車がなくなったという点では寂しくなったことでしょう。 客車列車時代の「能登」で碓氷峠を下った(列車は「上り」ですが)ことがありますが、そういう時代も既に遠い過去の話となりました。 ゆきむら@TAMA City |
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