柾岡 淳夫(dtft2462) 2008-10-23 15:49:55 |
ゆきむらさん、こんにちは。 > 男鹿線初乗りの頃は、今は亡き赤い50系客車が走っていました。電気機関車ではなく、ディーゼル機関車に牽引される客車列車は味わい深いものがありましたけど、遠い昔の話になってしまいましたね。 私の住む関西エリアでは、福知山線が永らくそんな雰囲気でした。今や電車が頻繁に走る路線になって完全な通勤路線ですが、学生時代にはまだ出雲市ゆきとか米子ゆきなどの長距離鈍行も健在でした。最終の福知山行きなど発車の30分以上前に大阪駅のホームに入線してましたので、神戸方面に帰る友人と車内で酒盛りして、尼崎で降りるなんてこともしてましたねぇ。 遠くへいけずとも汽車旅の雰囲気を味わえる素晴らしい環境??だったのですが、さすがにもうそんな雰囲気は望めません。 > そう言えば、「鉄道旅行地図帳」を実際の旅に持参する機会はまだないですね。柾岡さんの場合、「ケータイ国盗り」にも地図帳が役立ったのではないでしょうか。 行政上の境界が引かれていれば完璧なんですけれど… でも役に立ったのは確かです。 >「比内地鶏」も、食品偽装の舞台となってしまいましたが・・・。 これ残念ですよねぇ。あらぬところまで疑いを持たれてしまいます。 > 五能線への寄り道も、国盗りの一環でしょうか。木造は、確かつがる市の代表駅になりました。土偶を象った駅舎は有名ですよね。 はい、「五所川原」と「つがる」というエリアがありましたので立ち寄りました。木造で用事は片付くのはわかっていたのですが、折り返しが乗った列車の鯵ヶ沢折り返しの列車でしたから、どこで降りるか迷っているうちにターゲットの駅を過ぎてしまったのでした。 柾岡 淳夫 -- CMN v0.50gβ -- |