【談話室】汽車旅全般のわだい   11
No.457 (Re:430)【富士】さよならの乗車を終えて
佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-03-06 22:38:37
 寝台特急「富士」の旅を終えて福山へ帰ります。

 大分から乗る「ソニック30号」は「富士」が到着した4番ホームから発車します。
 「ソニック」に乗るのはもちろん初めてで、まずは外観や車内に驚きました。走る速さも客車の「富士」とは違いかなり俊足です。小倉−大分で比較しますと、下りの「富士」が定刻で1時間58分ですが、「ソニック30号」は1時間28分と30分も速く走ります。
 帰る日は月曜日ですから自由席でも十分座れると思っていましたので最初から指定は取りませんでした。予定では「ソニック26号」に乗るはずでしたから遅れによる手続きの面からも結果的に自由席にしておいて良かった事になります。
 昼食はまだでしたが、小倉駅まで時間があまりかからないので、車内販売で弁当は買いませんでした。天気は相変わらず良くなくて雨がパラパラときたりしました。順調に走り、感覚ではさっき大分駅を発車したのにもう着いたという感じで小倉駅に着きました。
 小倉駅で新幹線に乗り換えますが、10分しかありませんのでホームのそばは諦めて、弁当にしました。買ったのは「かしわめし」。いつか立ち売りで有名な折尾駅のも食べてみたいと思っています。
 新幹線ホームでは、九州&山陽新幹線用の車両が停車中でした。新幹線が開業したら「さくら」として走るのが楽しみです。
 小倉駅から乗る「のぞみ34号」はN700系でこちらも自由席です。乗車して、まずは「かしわめし」を食べて、あとはのんびりしようと思っていたのですが、速すぎて時間が無くなりました。「のぞみ」では小倉駅から福山駅まで1時間14分しかかからず、大分から福山までトータルで3時間弱とは驚きの速さでした。
 こうして約26時間+1時間の長い旅を終えました。

 今回は乗らなかった「はやぶさ」ですが、過去に1回だけ福山−東京間で乗りました。それよりずっと前に一度乗るチャンスがありました。1992年に屋久島から帰る時に西鹿児島駅(現:鹿児島中央)に行くと止まっていました。ヒルネ扱いで乗る事は可能だったのですが、その時は新鋭車両の「つばめ」を選択しました。
 「富士」は今回を除くと上りの福山−東京間しか乗っていません。最初に乗った時は非営業でしたが、まだ食堂車が連結されていて朝には売店として営業をしていました。買った弁当を食堂車のテーブルで食べている人も居ました。
 あと、いつだった忘れたのですが、東京駅の工事で東海道線の品川−東京間が運休になる日に品川行で運転されたことがありました。行き先表示はどうするのかと思っていたのですが、幕は「東京」で、ガラスの上から「品川」と紙が貼ってありました。今でしたら必ず撮影するのですが。
 A寝台個室は結局乗る事ができませんでしたが、B寝台個室ソロには乗ることができました。最初に乗った時はこんなに広くて、普通のB寝台と同じ値段とはお得だと思いました。これならなかなか取れないのも納得でした。
 忘れられないのは、1両貸し切りだった事。福山ではもう深夜ですから、乗っても車内は静かです。何の疑問も無く、そのまま寝ました。次の日起きてびっくり、私の乗った2号車は誰もいませんし、寝台を使った形跡もありません。車内販売が来て、最初は最後尾の1号車の方へ行ったのですが、2回目以降は私の席で向きを変えて3号車方向へ帰って行きました。という事は1号車は車内販売が始まった時間には無人だった事になります。

 東京駅発着の寝台特急は次の改正で廃止されますが、私の中ではいつまでも思い出として残るでしょう。最後は寂しくなりましたが、さよなら乗車して良かったと思います。

 ダイヤ改正までに書き終えることができてホッとしています。これで終わりです。

 福山市 佐藤邦昭

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