佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-10-16 00:41:25 |
ゆきむらさん、こんにちは。きっかけを作りましたので、私の思い出を書きます。 私の中で今でも強く残っているのは鶴見線の大川支線です。訪れたのは昭和57年で、大垣夜行に乗り東京へ来て乗りに行きました。使った切符は「青春18のびのびきっぷ」。 武蔵白石駅に到着してホームに降りると、離れた所に大川支線のホームがありました。待っていたのはもちろんクモハ12でした。当時は105系が登場して旧型国電の全廃が遠くない事が明らかになっていました。首都圏でしかも17m車が現役でしたのでこれは行かねばと思いました。 武蔵白石駅を発車して、運河を渡るとすぐに大川駅でした。営業距離が1kmですから納得しました。その時はすぐに折り返して帰りました。 現時点ではこの時に訪れたのが最初で最後なのですが、後にこんな事になるとはその時は全く予想していませんでした。1年後の昭和58年には首都圏に住む事になり、昭和63年からは通勤で鶴見線に乗る事になりました。武蔵白石駅を通るたびにクモハ12が気になりましたが、鶴見線で通勤したのは1年で終わってしまい再び乗る事はありませんでした。 ここに17m車が残ったのは、武蔵白石駅の大川支線ホームがカーブ上にあり20m車が入線できなかった為で、どうするのかと思っていたら、20m車を入れる為に武蔵白石駅のホームは撤去され通過になりました。今は運転に関して安善駅から分岐の扱いですが、運賃は武蔵白石駅からの分岐のままです。 機会が有れば再び訪れてみたいです。 > 私の思い出に残る一駅支線と言えば、ちょっと反則気味ですが、上野動物園のモノレールでしょうか。というのも、日本の鉄道を全線完乗した路線だからなのですけど・・・。モノレールがOKなら、ケーブルカーなどはほとんどが一駅支線ということになってしまいますね(^_^; モノレールの存在を忘れていましたが、この路線は昭和44年に乗っています。実はこれが最初で最後ですから、約40年も乗っていない事になります。大川支線もそうですが、近所にいても機会が無いとなかなか乗らないですね。遠く離れますと行きたくなりますが。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50hβ -- |