佐藤 邦昭(pndu3792) 2009-11-24 23:57:10 |
目的の越美北線を乗りつぶしました。その日の宿泊地である尾張一宮へ向かいます。 福井駅に戻り、少し早いですがホームで待つ事にしました。夕食には早かったですが、ホームにある「今庄そば」でそばを食べる事にしました。 やって来た敦賀行は457系電車の6両編成でした。交直両用の急行型電車に乗るのは久しぶりで、北陸本線ではおそらく昭和60年に筒石駅から直江津駅まで乗って以来と思います。途中では471系電車ともすれ違いましたし、長い間頑張っているのは嬉しいですが、休ませてあげたい気持ちもあります。鯖江駅では後続の特急を2本待避し長時間停車しました。後から考えますと、福井駅での待ち時間30分と鯖江駅での停車時間が14分あった事から考えますと、少しでも未乗を減らす為に福井駅前から福井鉄道で武生へ行く事も検討するべきでした。 北陸トンネルを抜けるとデッドセクションを通過します。行きは新鋭の521系電車でしたから実感がありませんでしたが、457系電車ですと車内灯が消えて非常灯だけになり通過を実感できます。 敦賀駅からは米原経由の「新快速」播州赤穂行に乗り換えます。今回は米原駅までの乗車ですから関係ないのですが、この時間は近江塩津駅より湖西線へ行くよりそのまま乗車して米原経由の方が早く京都まで行く事ができます。 北陸本線の近江塩津駅から米原駅間を20往復以上しているはずですが、「シュプール号」か「きたぐに」しか乗車していませんので、通過は夜間ばかりで、明るい時間に乗るのは今回が初めてです。余呉駅のそばには琵琶湖ではなく余呉湖がある事を初めて知りましたし、長浜駅が琵琶湖に近い事は知っていましたが、田村駅からも琵琶湖が見えるとはこれまで知りませんでした。かつてはここで機関車を交換していましたので、ホームの間に留置線があり、その名残として相対式のホームの間が広く空いています。 米原駅到着時に、「前に8両連結する」という車内放送がありました。ここから12両になるのですが、ホームに降りてふと側面の行き先表示を見て驚きました。乗っていた車両の行き先が「網干」になっていたからです。間違いなく敦賀駅出発時点では「播州赤穂」の表示でした。 つまり列車としては敦賀発播州赤穂行ですが、敦賀発の車両は網干行で播州赤穂行の車両は途中の米原で連結しますから、始発から終着まで乗り通せない列車だったのです。実際に乗り通す人はあまりいないでしょうから、このような表示でも問題は無いと思います。このような例は他にもありそうです。 米原駅は橋上駅になっていました。狭い跨線橋を通って乗り換えていたのが嘘のようです。ここから先はJR東海のエリアに入りますのでスマートイコカがチャージできなくなりますのでここでしておきます。 新快速の浜松行に乗って尾張一宮へ向かいました。普通列車で関ヶ原を越えるのは久しぶりでしたが、外は暗くてよく見えませんでした。岐阜駅前がきれいになっていましたが、路面電車が無くなったのは残念です。 尾張一宮駅から名鉄の支線を少し乗ろうと思っていましたが、明日の為に休む事にしました。 新たに乗りつぶす事ができたのは越美北線のみでしたが、この時点でJR西日本完乗まで残すところ8線区になりました。 福井地区では福井鉄道とえちぜん鉄道が全部残りましたので、また機会を作って福井へ来たいと思いました。 名松線へつづきます。 福山市 佐藤邦昭 -- CMN v0.50hβ -- |